桃色の憂鬱

文を書く練習

彼岸

 彼はいつも無口だった。だから、彼と言葉を交わした記憶はあまりない。

 彼は外に出るのを好まなかった。だから、彼と出かけたこともあまり無かった。

 彼は毎日、新聞を読んでいた。食卓手前の特等席で4社も5社も取っていた新聞をひとつひとつ丁寧に読んでいた。それらについて話すことはなかったから、何を思っていたのかは結局分からない。

 彼はウィスキーを好んだ。脳卒中をしてからお酒を完全に辞めたが、それまでは食卓でクラシックを流しながら一人ウィスキーのロックを飲んでいた。

 彼は相撲と読売ジャイアンツが好きだった。夜になると決まってソファに腰掛け、NHKと4チャンネルの中継をそれぞれ観ていた。ジャイアンツが勝っていると嬉しそうで、負けていると決まって「もうあかんわ」と言い、観るのを途中でやめていた。

 彼は病院をひどく嫌った。ただの風邪じゃ滅多に病院にかからなかったそうだし、酷い話だと肋骨が折れていて息苦しそうに寝ていたときも、決して自分から病院に行こうとしなかった。

 彼は字が綺麗な人だった。彼とはあまり話すことがなかった分、会うたび手紙を交わしていた。手紙といっても、彼からの一方通行でチラシやメモ帳の裏に一言二言書かれたものだった。反抗期の僕に対する叱咤、大学受験を控えていた僕に対する激励、会いに来たことに対する感謝。そういった言葉を丁寧な字とともに彼は私に送った。彼なりの愛情表現だったのだろう。内容は鮮明に覚えているのに、手元にないことを切なく思う。

 僕は彼のことをそのくらいしか知らない。僕が彼の生きた世界や、見えていたものを知りたいと思った頃には、もう彼は脳卒中の後遺症で言葉を発することができなくなっていた。

 母が言うに、僕の祖父は寡黙だったけど、ユーモラスで優しい人だったらしい。母がまだ子供だった頃、コーラやジュースを買ってきて、それに似た飲料を作って味比べをしたり、若い頃は車でよく外に連れ出してくれたそうだった。そして、毎朝仕事着のスラックスにアイロンを自らかけ、零細企業ではあったが、従業員の退職後の年金等もきちんと準備する従業員思いの経営者だったらしい。

 

 でも、不思議とそうなのだろうと思った。親を除いた親戚の中では一番怒られていて、正直ちょっぴり怖かったけど、毎回別れ際に私の手を強く握る彼の右手からは優しさと愛情がしっかりと伝わっていたから。

/

2020年10月31日

 その日は当時の恋人との旅行で北海道へと発った日で、雲ひとつない晴天だった。僕は新千歳空港に降り立ち、内部のフードコートで昼食を取った後で、札幌行きの電車に乗る最中、iPhoneを開いてその日の行動やチェックしていたお店を確認していると画面上部にLINEの通知が見えた。

 母からだった。彼の訃報だった。

 死んだ…?もう先が長くはないかもなんて親戚と話して、覚悟はしていたつもりだったけど、ほんとに?

 少ししてから、またスマホにメッセージが届く。内容は告別式の場所と日時だった。

 死んだんだ。これは本当のことなんだ。新型コロナウイルスがあって、ここのところずっと満足に会えていなかったから、彼のことは記憶の片隅にしまいこんでいたけれど、笑った顔や怒った顔、有馬温泉に行った記憶、もう彼が僕のことをどれだけ認識していたかは分からないけれど、病院の一室で淀川に上がった大きな花火を一緒に見た最後の記憶など思い出の数々が途端に溢れ出してきた。

 その瞬間はまだ先で、いつかまたあの日に戻れると思っていた。でも、もうそうじゃないらしい。その日は訪れたのだ。あまりにも唐突に。

 遊びに行くといつも嬉しそうにしていた彼はもういない。電話をかけると口下手ですぐに他の人と代わってしまう彼はもういない。

 涙は出なかった。なんというか、空虚。よく分からなかった。何ももできず、何を話せば良いのか、よく分からなかったけど、ただせめて彼を天国へと送り出すその日まで、今日のような心地よい晴天が続いてほしいと思った。

/

 告別式当日の早朝、僕は旅行の予定を少し早め、飛行機で告別式の会場である大阪へと向かった。会場には母と叔母のみっちゃんと、祖母がいた。少ししてから親戚が続々と集まって、そこには僕の知らない人達も多くいた。

 無口で恥ずかしがり屋の彼はこれを見て、なんて言うのだろう。多分無口だけど、少しはにかんで嬉しそうに僕達を見ているんだろう。

 告別式は淡々と始まった。会場に掲げられていた遺影には、見たこともないくらいカチッとしたスーツを着て破顔している彼がそこにいて、その辺りを綺麗な花々が彩っていた。

 僕はその遺影をあまり見ないようにしながら、長々と手を合わせ焼香を済ませた。諸々を済ませると、祖母だったか、叔父さん叔母さんだったか、それとも母だったかあまり覚えていないけど、棺を開けてくれた。

 みんな棺の周りに集まった。棺は、彼の好きだったかりんとうや、彼が生前身につけていたものや、想い出の品々でいっぱいになっていた。僕も棺のもとへ行こうとした。しかしどういうわけか足が前に出なかった。大きく息を吸い、それから時間をかけて吐いた。彼の顔を見るには少し準備が必要だった。

 泣いてはいけない気がした。心を無にして、彼と向き合おう。

 棺の周りで啜り泣く人々の間に入る。彼の顔が見える。

 とても白く、そしてとても美しい。

 しかし僕の知っている彼ではなかった。話しかけるといつもニコニコしていた彼は、白い棺の中で静かに目を閉じて澄ましていた。話しかけても表情は変わらない。そうか、彼はもうこの世にいないんだもんな。僕は泣かなかった。

 祖母が僕に言った。「せっかくだから最後にちょっと触ってみたら?」

 僕は恐る恐る手を伸ばした。いつもニコニコ笑っていた、その白く美しい頬に触れた。

 不気味なほど冷たかった。

 僕は驚いて、すぐに手を引いた。そのまま2歩3歩と後ずさりをした。涙が溢れ出した。止まらなかった。

 まるで、雪の中に忘れ去られた方解石のように、彼は果てしなく透き通っていて、どこまでも冷たかった。いつも笑ってくれて、支えてくれていた彼は確かに目の前にいるけれど、もうこの世にはいないのだとそのときはっきりと悟った。

 本当に、本当に、行ってしまったのだ。決して手の届かない、遠いところまで。

 僕は、彼の年齢のことなど考えたこともなかった。会いに行ったらいつもそこにいたから、きっといつまでもそうなのだろうと、そんなことはあり得ないのに漠然と、そう思っていた。

 でも、そんな彼との日々はもう戻ってこない。彼と会うことも、話すことも、永遠に叶わない。

 サヨナラ。僕はもう一度彼に触れた。

 いっぱい迷惑と心配をかけたけど、東京で頑張るよ。これから大変なことも多いと思うけど、めげずに頑張るよ、と泣きながら心の中で呟いた。

 彼は今にも目を覚ましそうだった。僕は、決してそんなことは起きないのだろうけど、それでも彼が「大丈夫や」と言ってニヤニヤ笑ってくれる気がして、ずっと見つめ続けていた。

 「大丈夫やぞ! しっかりしろ!」と言って欲しかった。「俺の分までお前は生きるんやぞ!」と叱って欲しかった。「泣くなんてみっともないぞ!」とニヤニヤ笑って欲しかった。

 生きていてほしかった。

 しかし、いつまで見つめても彼は白く美しく、安らかに安らかに、気持ち良さそうに眠ったままだった。遺影だけがあの日のまま静かに微笑んでいた。

/

 あれからあっという間に1年が経った。もう間も無く彼が去って2度目の新年が来る。今年は自分にとっても本当に多くのことがあった。きっと、彼は遠く南方のサザンクロスから僕を見て、叱っているのだろう。

 実家に帰って、彼の写真が多くある家で、彼のことを思い返すことも増えた。もう会うことは二度とないけど、あなたに、あなたのいる場所に良い知らせが届けられるよう精一杯生きていくので、見ていてください。

 そして、遠い先のいつか私も銀河鉄道に乗って、遠い銀河の果てのサザンクロスにいるあなたの元へと行くので、そのときは二人でウィスキーのロックを飲みながらたくさん話しましょう。

 またね。