桃色の憂鬱

文を書く練習

デイ・ゼロ

 祖母の面会に行った。病院に行くとまず院長先生のところに通され、祖母の状態と手術の経過、今後の治療についての説明を受けた。祖母は今大腸ガンのステージ4らしい。そして、既に肺への転移も見られている。院長先生はすごく丁寧に言葉を選んで私に伝えてくれていたけど、要するに一旦は手術をして体調が落ち着いているものの、祖母のそれはもう完治することはなくもって数ヶ月。今この瞬間も命のカウントダウンは刻一刻と進んでいるということだった。そして、祖母はまだそれを知らない。

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 簡単な面会の手続きをしたあとに消毒を受けた。面会時間は20分らしい。短いなと思った。それでも、新型コロナウイルスが蔓延していた頃と比べたら緩和されたそうで、思い返してみれば当時祖父の死の間際、彼はすでに病床に伏していてそのまま彼を看取ることができなかったから、それを思うと、どんなに短い時間であったとしても、与えられたこの時間は神様が私に与えてくれたギフトなのだと思うようにして、彼女がいる病床へと向かった。

 ドア越しにまず目に入ったのは一年前と比べて驚くほど痩せ細った彼女の躰だった。大腸の調子が悪く、もう満足に排泄ができなくなっていること、そしてそれが伝ってなのか分からないけど、このところ十分に食事も摂っていなかったことは、親戚から何度も聞いていて、その度に脳内でシミュレーションして覚悟をしていたけど、それでも五感を媒介として眼前に突きつけられた"現実"は想像していた以上に痛々しくて、覚悟していた以上にショッキングなものだった。

 彼女と話す上で、とにかく意識しなきゃいけなかったことは「彼女に自身の容態を悟られないこと」だった。手術が成功してようやく家に帰れることに安堵しているであろう彼女に、いつもと違う私を悟られてしまってはきっとそれは彼女の心に再度深い闇を落としてしまうことになりかねない、そう感じたからだ。だから、私は「平常心、平常心、平常心」と心の中で三度念じた後に、すーっと深呼吸をして部屋に入った。

 彼女は見かけ以外はいつもと変わらなかった。「あら、"そう"ちゃん。わざわざ遠くから来てくれてありがとうね。この前は旅行に行けなくてごめんね」と私の顔を見るやいなや、ぱあっと明るく嬉しそうに、そして少し申し訳無さそうにはにかんで私の方を向いた。

 「ううん、元気そうで良かった。あと、俺は"そう"ちゃんじゃなくて、"ゆう"ちゃんだよ」と、数年前からアルツハイマーを発症して従兄弟と私を誤認している彼女に、これまでと同じように訂正した。そうすると彼女は「あぁ、そうだった。"ゆう"ちゃんだった。」と、少し悪びれながら返した。時を経るごとに、私の名前を呼び間違える回数が増えていき、このところもう正しい名前で呼ぶことのほうが少なくなっていた現状に切なさを覚えていたけど、突然訪れた死の気配を前に、そのやり取りすら、これまでと変わらない日常の一幕を感じることができて、少し嬉しかった。

 続けて、彼女は私がまだうんと小さかった頃に妹と三人で井の頭公園の桜を見に行って、それがすごくきれいだったこと。私が麻布中学に合格し、その後慶應義塾大学に通ったのを本当に誇らしく思ったこと。そして、大学での勉強の話や友人の話を聞くのをいつも楽しみにしていたこと。何かの折に電話をかけてくれて、彼女の体調を気遣ってくれたのが嬉しかったこと。年に数回彼女とする手紙のやり取りをいつも心待ちにしていたこと。元気になったら、また親族みんなで旅行に行ったり、東京に遊びに来たりしたいこと。来年の春は中之島に桜を見に行って、夏になったら淀川の花火大会も見たいこと。話は尽きなかった。

 その後、少し私の近況を報告した。転職が決まり次の職場もそれなりに良さそうなこと。最近わりとよく一緒にいる仲良い女の子がいたり、他の友達にも恵まれていて、日々悩みはあるけど楽しく過ごしていること。すると、祖母からは「"ゆう"ちゃんが結婚して孫が早く見たいわあ」なんて言われて、「それは俺だよ」って天然なのかボケてるのかよく分からないやり取りをした。

 そして、面会終了の時間が来た。看護師さんから「最後にひとこと」と話を振られて、なんて言おうか少し悩み、間を置いて出てきた言葉は

「元気になったら旅行に行こう。いつか俺が結婚して、子供ができたりしたら、井の頭公園にいって、昔おばあちゃんと見た桜を見に行こう。絶対に。これからも、ずっと先も。また近いうち会いに来るね。」というものだった。

 優しい嘘が口を突いて出た。嘘だからなのだろう。泣けやしなかった。彼女も私も笑顔のままお開きになった。

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 電車に乗りながらふと我に帰る。

 「旅行に行けたら嬉しいけど、もしかしたら厳しいかもしれない。そして申し訳ないけど、俺が結婚する姿も相手も子供も、貴女には見せられそうにありません。でも、もうちょっとだけこんなふうに貴女と話すことができたらそれだけで十分だから、どうかちょっとだけでも長生きしてください。来月から仕事が忙しくなるけど、必ず顔は見せに行きます。どうかそれで許してください。」

 本当はそう言うべきだったのかもしれない。だって、彼女と会うのはこれが最後になるかもしれない。だから、彼女にはお別れの言葉と感謝と実現可能なお願いだけをすべきだったのかもしれない。葬式でさよならと言ったところで、死んだ人間に届くはずなんてないんだから、生きてるうちにちゃんと別れの言葉と、感謝の気持ちを伝えることだけが、終末期を突きつけられた人間に与えられた権利なのだから。

 でも、その権利を行使することは私にはできなかった。そんな勇気も、覚悟もなかった。病室には思っていたより近くに死の気配があって、本音を言うと、別れの可能性なんて口にしただけでも泣いてしまいそうで、私は彼女にそんな姿を見せることはとてもじゃないけどできなかった。

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 終わっていく。すべてが終わっていくんだ。帰省する度に家で出迎えてくれるときの笑顔も、料理をするときの慣れ親しんだ後ろ姿も、東京に戻るときに俺の姿が見えなくなるまで玄関で見送ってくれていた小さな体も、そこにはもういない。ひとつずつ、全てがさよならを告げずに終わっていく。

 名残惜しんで手を伸ばすことはもう許されない。どれだけ離したくないものだとしても、全てを掴み取って心に刻みつけることはできない。どれもこれも手を付けて空き容量を減らせば減らすほど、身動きが取れなくなるくらい身体が重く、そして鈍くなる。まるでローカルディスクがいっぱいになったパソコンのように。

 赤紙が来たのだ。彼女は戦場へ行く。

 どこにも逃げることはできないし、一度行ってしまったらもう戻ってくることはない。

 太平洋戦争へと、半ば強制的に連れて行かれた日本兵に彼女を、そしてそれを見送る家族に自分自身を重ねる。命を惜しむことも、涙を流すことも許されなかった若い兵士たち。死を恐れることの許されなかった青年たち。そして、その感情を押し殺して笑顔で彼らを見送った家族たち。

 「日本男児たるもの強くあれ、泣いてはならぬ」そう自分に言い聞かせて、クリスマスイブに浮かれる梅田を、かつて祖母と色々なお店に行きいたるところに彼女との思い出がある梅田を駆け抜けて家路についた。

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 帰宅して、祖母のいない"おばあちゃんち"に帰り、食卓で物思いに耽っているとふと、彼女が楽しみにしていると言っていた手紙を久しぶりにちゃんと書こうと思い立った。幸い、私は書くことが好きだし、言葉で本音を伝えるのが苦手な分、ちゃんと文字に想いを載せることができる。神様が私に与えてくれた数少ない才能だ。正直な思いを彼女に伝えよう、そしてそれを形に残そう。と思った。

 本棚に入っているレターセットを開封し、ペンを取る。次いつ会えるかなんて本当にわからないんだから、何だって書いてやろう、普段言わなかったこと、そしてずっと言えなかったことも。

 何を書こうか。これまでの思い出、彼女の好きなところ、感謝していること、ねぎらいの言葉、そしてこれから緩やかに弱っていく彼女に対する励まし、次から次へと浮かんできてやっぱりキリがない。まずは感謝の言葉から入ろうか。ありがとう、と書き始めたところで、どうしてだろうか。次第に視界が滲んでいき、手が小刻みに震えだした。

 書けない。書くことを体が拒んでいる。

 何を書けばいいか、何を書くべきか、頭ではスラスラと思い浮かんだはずなのに手が全く言うことを聞かない。

 どうして俺はこんなものを書いているんだ?

 どうして俺は彼女が死にゆく姿を黙って見てることしかできないんだ?

 どうして俺は今の彼女の望みを叶えてあげることができないんだ?

 このとき私はそう遠くない未来に彼女が死ぬことをまだ全く受け入れられていないのだと自覚した。今日一日ずっと自分の感情を押し殺しながら、死は誰にでも訪れるもので、そのときが来るだけだと言い聞かせて、その反動でもっと生きてほしくなって、もっともっと彼女と一緒にしたいことが増えて、それでも死の運命を受け入れなければならないのだと自分に言い聞かせていただけだと気がついた。

 彼女へのねぎらいとか励ましとかそんなの全部放り投げて、ただ俺はこの食卓の向こう側に彼女がいて、少し手料理を振る舞ったら「美味しい」と笑顔で食べてくれて、テレビを点けて中身のない話をして、もう何度聞いたかわからない彼女の思い出話を聞いて、寝て起きたら末期ガンは全て治っていて、悪い夢でも見ていたのかなあなんてとぼけて、おばあちゃんの家って暇だよなあとか言って二度寝をする。そんな普通の生活に戻りたかった。あらゆる思い出が走馬灯のように交錯し合って、気がつけば私は誰もいない食卓で涙が枯れるほど泣いていて、気づいたらレターセットを広げたまま、食卓に突っ伏して寝ていた。

 そして、目が覚めて改めて一人ぼっちの家であることを認識し、それが当然とでも言うようにそこに祖母はおらず、どうやら悪い夢ではなかったらしい。レターセットを片付け、再び思いっきり泣いて、すっきりしたわけではないけれど、それでも少なくとも泣く前よりはすっかり頭が冴えていた。清々しいとかは全然なく、心にぽっかりと穴が空いたままではあるが、今こうして誰に充てるでもない正直な気持ちをブログに綴っている。

 きっと自分が今までに書いたどの記事よりも感情が前面に出ていて、構成も言葉遣いも後から見直したらめちゃくちゃなんだろう。でも、それでいい。この記事だけは書き終えてから見返して体裁を整えるなんてことはせず、等身大の思いを書き記したものにしよう。

 どう足掻いても時間は待ってくれない。どんなに考えるのを後回しにしても、彼女の命のカウントダウンは刻一刻と迫ってくる。決して私の一存でそれを先送りにできるわけではない。今はまだ彼女の死を受け入れられない自分がいて、書き殴ったようにめちゃくちゃに思いつくまま単語を羅列して、逃避することが自分にできる全てだ。でも、この残り僅かな時間は神様が私達に与えてくれたギフトなんだと大切にして、彼女を信じて、祈って、その先で決心して、彼女への渾身の思いを文字に込めて、ちゃんと感謝とお別れを、伝えようと決心した。「そのとき」が来るまでに。

 2023年12月24日。

 私と祖母にとってのDay 0が始まりを告げた。