桃色の憂鬱

文を書く練習

サンタクロース・ダンス

 サンタクロースの正体を知っちゃったのって、たしか俺はまだ小学校低学年くらいで、たぶん同級生の誰かから、とある情報筋によるとサンタクロースってどうやら結構近くにいるらしいぜ、俺は親が怪しいって睨んでる、つーことを教えられた時で、うわそっかーって。俺、てっきりサンタクロースって全世界の子供たちにプレゼントを配ってあげてるんだと思ってて、俺よりももっともっと貧しくて、苦しい暮らしをしているアフリカとかの子供たちも普段すっげえつらいけど、一年に一度くらいはごちそうやプレゼントを貰えるからそれを楽しみに一年間頑張ってんだろうなって。でも俺のお父さんがサンタクロースなんだったらそっか、その子たちは最初っから何も貰えてなかったんだ、サンタさん、一度も来てなかったんだ、ってこっそり泣いた。

 

 俺の根っこの部分ってこの時流した涙の純粋さそのままなんだよね。心が綺麗過ぎるの。今まで色んなところで俺の心の優しさについては訴えてきているのに、俺が心優しい純粋な人と考えてくれている人は少なくて、今のところ、俺を含めて一人しかいない。せめてさ、せめて好きな人にくらいは、ちょっとくらい伝わって欲しいとか思ってるんだけど、その、まあなんか日々の行いのせいでちょいとばかし誤解されてる的な、まあ誤解つーか正解なんだけど、とにかく、そりゃ不安にもなるよねーつことで、同じ理由で引かれっぱなし。

  こうやってさ、誰に宛てるわけでもない、誰が読むわけでもないような宣言を書きながら思うんだけど、俺、やっぱり文章を書くことが好きだ。自分の書いた文章って大好きだし、こうやってくだらねーことをだらだら書く行為そのものが本当に好きだ。キーボードを叩く度に増えてく文字を見るのが好き。誰かに読んでほしいとかそんな段階の前に、自分の中に表現しきれない気持ちがまだまだあって、書き足りないという渇欲があって、今日もこうやって自分の喜怒哀楽について書けてるってことがたまらなく嬉しい。頭の中でぬちゃちゃんってなって沈殿してるものが、少しずつ少しずつ形になってって、パーマンバッジみたいに俺を強くしてくれる。全然書ききれることはないしピッタリの言葉なんて見つかるわけもないけど、ああでもないこうでもないって言葉を探す過程の中で、感情と語彙の相対数の限界を好きな人で感じることができる。自分が自覚的に好きだと認識できてる部分なんて、全体から見るとほんのちょっとなんだって勇気をもらえる。

 ほんとよかった、文才も語彙力もなくて。小学校の頃、夏休みの宿題の日記作文が本当に嫌いで何を書けば良いのかわからなくって、最終日に「ぼくは日記の宿題があまり好きじゃなくて途中で花火をしたり旅行した時もまあいいっかと思って放っておいたら、もうすぐ新学期が始まってしまうことに気付いて、あわてて今、書いています。でも今日は日記を書く日だと決めていたので、友だちとも遊べずにただ日記を書いてるだけで終わりそうです。悲しいです」みたいな、〈日記を書く〉という出来事を日記に書いてたようなセンスもやる気もなかった俺が、今は誰に頼まれたわけでもないのに、その何倍もの量をうきうきしながら書いてる。ほんとオススメ。みんなも一回くらい思いつくまま書いてみない?好きな人とか彼氏とか彼女とか、別に人じゃなくっても好きなものとか場所だとか。文章じゃなくても、絵を描ける人は絵でもいいし、曲を作れる人は歌でもいい、なんならダンスが好きなら踊っちゃってもいいと思う。そんでもって下手くそでもいいから俺に見せてくれ。ダンスはYouTubeに上げてくれ。Goodボタンいっぱい押す。

 そうやってみんなで自分の気持ちを再確認して、その大きさにびっくりし合って、好きなものをもっともっと好きになって、胸にパーマンバッジを付けて最強になんてなっちゃったりして、いつかサンタクロースがごちそうとプレゼントを持ってきてくれる日を気長に待ってようぜ。幸い、近くにサンタクロースって居るみたいだし。