桃色の憂鬱

文を書く練習

妖精は消えない

 このブログを書き始めて5年くらいが過ぎて、好きな人をいまだに好きなまま11ヶ月が流れようとしている。11ヶ月て。赤ちゃんがそろそろつかまり立ちを始める頃だよ。俺の恋は相変わらずつかまり立ちどころか産声すらあげてない感じなんだけど、それでもまあ、息はしてるし生きてんだろうなっつー感じで適当に育んでいたら、幸か不幸かどんどん背丈だけは大きくなっていってる。

 

 それでも随分ちゃんと健全な片思いが出来るようになった。友達から、仲良い女の子多くてなんだかんだ遊んでるよねみたいなことをチクッと言われたり、らしくないことしてややこしくしちゃった今年の夏の反省もあって、なんとなく異性と遊ぶのをやめてたんだけど、一回もう最後までちゃんと片思いしようっつーことに決めてから、

 

 紹介された女の子と飲みに行ったり、あとはこの週末で、家に篭って漫画ばっか読んでる俺を憐れんだ親友に誘われて京都まで二人でドライブに行ったりとか、まあ特筆すべきなのはその二回くらいなんだけど、そんな感じでちゃんと好きな人以外とも交流を持つようにして、こちらとしても好きな人以外からの応募を随時募集してますよっつー感じで窓口を開けたりなんかしてるんだけど、それでも見事なくらい好きな人のことが揺るぎなく好きなもんだから、自分でも呆れつつでも少しだけ安心したりなんかして。なーんだ、別に禁欲的なことを課さなくても俺は好きな人のことをこんなにもちゃんと好きなまま居れんじゃん、みたいな。

 

 ミヤタもさーすごいのよ。ミヤタが俺に告白してくれて断った時、これからは好きな人とのことちゃんと応援するねつってくれて、別に会ったら普通に接してくるんだけど、ラインとかはほんとに送って来なくてさ、ああ口だけじゃなくってほんとに応援してくれるんだ、みたいな、そういうところって自分も片思いをしてるからほんとすげーなって思うし、花火行った時ももちろん何もなくって、完全に友達としての距離感を保ったまま、なんならそんなに急ぐことないじゃんー、なんて慰めたりまでしてくれて。あれ、ミヤタって俺のこともう好きじゃないのかな、とか一瞬思いながら、でも俺は本当はミヤタが俺のことを今でも大好きなことくらいちゃんと分かっていて、その上で、ああ、今横にいるのが好きな人だったらな、なんてさいてーなことを考えた。

  ほんっと俺ってどうしようもねー。普通こういう時ってさ、そういえばミヤタと居たら不思議なくらい素の自分で居られるんだよな、とか考えながら恋の一つや二つ生まれるもんじゃん。全くそんな気配がない。ミヤタのことを知ってる友達なんかは、もうこれはミヤタだミヤタだつって、ミヤタ良いじゃん可愛いし、みたいな押せ押せムードというか俺にとってはただの、逆風、つー感じなんだけど、好きな人のどこがそんなに良いわけ? みたいな感じにいい加減なってきてて。俺も、いやーそれがよくわかんねーんだけど、的な、たぶん前世でなんかあったんだと思う、好きじゃなかったら絶対好きになってないもんあんなヤツ、なんていじらしい名言も飛び出しちゃったりして、それを聞いた友達はため息、みたいな。もう満足するまで頑張れば良いんじゃない、っつー感じで現在なんだけど。最近、実は好きな人の誕生日がありました。

 

 誕生日って、ほんとにめでてえのな。別に会ったりしたわけじゃないんだけど、とことんめでてえ。なんだろ、これまでだって十分、めでてえめでてえ、つって色んな人の誕生日をやってきたけど、そんな他人事みたいに言えるもんじゃないねこれ。感謝しかない。ただただ感謝が静かに湧いてくる。今俺が正拳突きをしたら、音を置き去りにすると思う。ネテロ会長の言ってた意味がようやく分かった。もうね、思わず、ありがとう、つった。俺が誕生日じゃんありがとうつって、相手はどういたしまして、つってくれた。俺の知ってる誕生日の流れとはずいぶん違うんだけど、そんな些細なことはこの際どうでもいいのよ。なんか誕生日って基本的に祝われてる側は気恥ずかしいもんじゃん。少なくとも俺はそうだったのよ。なんとなくどんな顔してたらいいのかわかんないっつーか、正直あんまりおめでたいって感覚もないし、そもそも自分が何かを成したわけじゃないのにあんなに祝福されてさ。 

 俺、自分が誕生日の時って、急に生きてるだけで祝われたりプレゼントまで貰ったりするノリについてけなくて、え、普段なんか、俺が生きてるだけで嬉しいおめでとうみたいな、そんな感じじゃみんななくない? 的な気まずさと違和感の中で、曖昧な笑みを浮かべてるうちに終わってたイメージだったんだけど、考えたらそりゃそうだ。やっぱり誕生日なんて周りの方が嬉しくてるんるんしてるのが正しかったんよ。おめでたいのは本人よりむしろ周りの方であって、おめでたい奴らにおめでとうなんて言われてたから違和感があったんだ。

 まあそんな感じだから、俺ここ最近すっごく浮かれてて、出会い頭に知らない人とハグして、一緒にバースデーソングを歌いたい気分なの。こないだ好きなやつの誕生日があったんっすよー、つって。最後に好きな人と会ってからそろそろ8ヶ月が経って、髪とかも少しは伸びたのかな、実はあんまり覚えてないんだけどさ、俺はこれまでよりももっとちゃんと好きになってってるわけよ。戦いの中で成長してる。他に好きな人を作ろうとか、もう諦めるかーなんて無意味に考えることもなくなったし、なんだろ、そういうのってたぶん何も良いことない。

 俺、このブログを始めた時に、ネガティブなことは書かないようにしようって決めてたんだけど、思ってもないようなことでも実際に口に出すとやっぱね、何かが死んでくんだと思う。言葉ってそういう力あると思うし。ほら『ティンカーベル』でもさ、妖精なんていない、って子供が言う度に妖精が一人ずつ消えていく、っつー話があったけど、あれってたぶんマジの話じゃん。だから俺は好きな人のことを好きなうちは好きってちゃんと言うし、恋の駆け引きとか気を引くためのテクニックみたいなのも使いたくない。もうお前のこと好きじゃなくなったよ、とかなんとか言って、ティンクが死んじゃったらどうすんのよって感じで。

 なんかちょっと前の日記で、俺以外が理由で彼氏と別れて欲しい、っつーことを書いて、相手にもそう言った手前、俺も好きな人が理由で諦めたりなんてフェアじゃないと思うし、成就するとかしないとか、脈があるとかないとかってことを幕引きの言い訳になんてするつもりもない。諦めるときは俺に別の好きな人ができた時か、好きな人への気持ちが冷めた時だけにしようって、そんな感じでいるんだけど、そんな日って一体いつ来るんだよ、みたいな。

 

 なんか本来、人間の頭の中にはオリンピックみたいにIOC(Intracerebral Oxytocin Committee=脳内愛情ホルモン委員会)っつー組織があって、周りにいる異性は日々、招致活動やロビー活動なんかで魅力をアピールをしてくれてるわけなのよ。私はあなたをユニークにお迎えします。日本語ではそれを一言で表現できます。エ•フ•カ•ッ•プ、Fカップ。みたいなスピーチがあって、するとIOCのメンバーも、リアリー!?!? ブラボー!!!! トウキョー!!!! つって次の恋の開催地を発表して好きな人ができるわけなんだけど。俺の場合は蓋を開けてみると、当初Fカップだと公表されていたザハ案も実はE寄りのDカップだったことが判明したり(新国立競技場問題)、可愛かったはずの顔にもあれはマツエクではないのかという指摘がされたりで(エンブレム盗作問題)、まあ、なんかこれ以上は、まるで俺が特定の誰かを攻撃してるみたいなあれになるからやめとくけど、そんなことがあるのと、前回のリオが良すぎたせいでIOCの士気も下がりっぱなしなんだよね。なんだろ、やっぱこれ前と同じ場所で良いんじゃね? みたいな、そんな雰囲気になってる。委員会自体もここ最近開かれてないし、委員長の家でリオ五輪の映像をメンバー全員で見てるだけ。やっぱこれ最高だわ~当分の間リオでよろ~、的な。

 まあそんなだから、上で書いてるようにちゃんと窓口を開けて形だけの開催国の募集をしていても、なかなかね、委員会が首を縦に振らないもんだから。ミヤタ? うん、とても良いよね。彼女はとても楽しみだよ。うーん、じゃあ開催国を発表するね、ネクストイーズ……リオデジャネイロ!!! つって。もう良いよ。俺はこの馬鹿どもと一緒に沈んでゆくって決めたんだから。新しい風を、とか、保守からの脱却、みたいなの全然いらない。IOCが旧態依然とした態度で自分らはここで死にますって発表したんなら、俺はその方針に従うまで。たとえ、そこに足りないものや多過ぎるものがあるんだとしても、それを含めた全ての要素が俺にとっては完成されていて完璧で、その不完全さが愛おしい。ただ好きな人がちゃんと存在していて、俺がちゃんと好きな人のことを好きなら、いくらでも三点測量することでそこにパラダイムとしての俺の人生の意味みたいなものが鮮やかに浮かび上がる。あー好きだー。大好き。

 あ、そうだ、言うの忘れてた、誕生日おめでとう。生まれてきてくれてありがとう。仲良くなってくれて、こんなにも好きでいさせてくれて、本当にありがとう。あの、うちのオリンピックってIOCが馬鹿だからさ、今回も前回と同じでお前んとこみたいなんだよ。だから聖火を運ぶ必要もないし、ほら、今回はせっかくお前の誕生日だったんだしさ、俺が聖火台に火を灯すから、みんなでバースデーソングを歌うみたいなやつやらない? 隣のやつらとハグでもし合ってさ。俺、今、そんな気分なんだよね。