桃色の憂鬱

文を書く練習

夢の中で拡大する僕の街

 ショートコラム的な。

 

「かわいさ」

 かわいいってことはかなり手強い。かわいさは指摘される度、自覚する度に高まっていくものらしくて、一旦かわいくなってしまうともう簡単には手が付けらんない。

 俺はよく人にかわいいねって言うんだけど、この間、地元の行きつけのカフェのかわいい店員さんが普段と違うふうに髪をくくってたから、いつもみたいに何気なくかわいいですねって言ったら、もっと言ってください、って笑って返されて、めちゃくちゃびっくりしてそのまま飛び上がって天井に突き刺さった。自分が今何を言われたのか全く判らなくて、ようやく理解した時には感動すら覚えた。

 ああ、かわいい人はかわいいと言われ慣れることで、よりかわいくなってしまうのか、と。

 他にも、たくさんお金掛けてるからですよ、と冗談っぽく返してきた人もいた。こういう気持ちの良い返しをされるたびに、俺はそれをこっそりとメモをして、秘蔵のコレクションに加える。そしてその洗練された返答に至るまでの道のりを夢想する。今までに何百回、何千回もかわいいと言われ続けて、その度に彼女らのかわいさは研磨されていって、異性から求められ続けてきた人だけが醸し出せるコミュニケーション論の匂いがまた別の男を婀娜やかに訴求する。

 切った髪を褒めたときに、稚拙さんに褒めて欲しくて切ったんです、と言ってきた人がいた。目眩がする。何万回褒められたらこんな台詞がさらっと出てくるようになるんだ。仕草や言葉一つでその人が今までにどれだけモテて、言い寄られてきて、下心の放射性に歪められたかが、なんとなく伝わってしまう。それがたまらなく楽しい。

 俺はよく人にかわいいって言う。少しでも相手のかわいさに寄与できるように。

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「涙」

 最近涙もろくなった気がする。いや、正確に言うと涙もろくなったわけじゃないんだけど、涙を流すということに対しての抵抗感みたいなものが日に日に薄れていってる。

 今日もなんか、家族でNetflixを観てて、俺は酒を飲んでて少し酔っ払ってたからなのか分かんないけど、特別泣けるような内容の映画でもないのに思いっきり泣いちゃって、そのときになんかすごくスッキリして、あぁこれって自慰なんだってすごく腑に落ちた。

 たった数cc分の体液が自分の精神状態に大きく作用するってことは男なら誰でも知ってることで、感情的になったときのその効用もよく分かってる。なるほど。そういうことだったんだ。それなら俺も恥ずかしがらずにちゃんと涙を流してこればよかった。汗や精液みたいにスポーツと割り切って、気持ち良さのためだけに涙を流してきたかった。

 女の子って誰かに怒られたときとか、めちゃくちゃ怒ってるときとかに、泣きたいわけじゃないのに勝手に涙が溢れてくる、みたいなことを言うじゃん。今ならそんな心のバランスの取り方もなんとなく理解できる。

 男が泣いちゃうなんてそんな恥ずかしいことないっしょー、とか思ってたけど、心のバランスの取り方を意図的に選べるのなら、涙を流すって方法はかなり、なんというかかわいらしい方だし、まだ場所を選ばないのかもしんない。上司に怒られてる時にスクワットやオナニーなんて始めるわけにはいかないんだし。

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「恋の三要素」

 最近友人の結婚の報告をInstagramFacebookで見かけたり、特に仲の良い友人は直接LINEで教えてくれたりすることが増えてきた。その度、いいねをしたり形式的な「おめでとう」を返したりしている。

 そうして、ふと考えたんだけど、恋の三要素は〈ときめき〉〈親密さ〉〈性欲〉だと僕は思っている。このうち二つが維持できればその恋は続く。一般的には、時間の経過と共に〈ときめき〉と〈性欲〉の値は減少し、〈親密さ〉は増大する。つまり、二対一で不利なわけだ。

 個人差はあるだろうが、私はこれまでの恋愛において三要素のうち〈親密さ〉しか維持することができなかった。そういう場合でも、お互いが残りの二つに関する欲求を他の対象に向けなければ恋は続くのだろう。だが、それができず壊れてしまった関係性が多い。

 「それは…当たり前だね?」と友人は言った。うん、でも〈ときめき〉と〈性欲〉に一生近づかないことなんてできるんだろうか?

 〈親密さ〉がかけがえのないものであることは分かっている。近所のパン屋さんで食べたそうにパンを眺めていたら「一個だけならいいよ」と頷いてくれたこと。奇妙な形のオブジェを並んで眺めたこと。彼女の感想は「ぶつかったら痛そうだね」だった。オムライスを作ってメイドカフェごっことか言いながら一緒にお絵描きしたこと。宅配ピザが届くまで、どんな味か一緒に毛布にくるまって想像したこと。暗い窓の下で煙草の先端が明るく燃えていたこと。かけがえのない親密な時間たち。

 そういった〈親密さ〉を育み続けてきた一方で、〈ときめき〉と〈性欲〉を維持することがどうしてもできなかった。付き合いたてに感じた高揚感を彼女に抱く頻度は徐々に減っていったし、別れる4ヶ月前くらいから彼女と一度もセックスをしていなかった。親密な記憶は今でもずっと持ち続けているのに、彼女に感じたときめきが何で、彼女のどこに性的な魅力を感じたのか今となっては思い出せなかったりする。

 本当はさ、〈親密さ〉でその全てを超えていってその先でずっとずっとあなたと一緒にいたいんだけど、とか思いながら、徐々に無機質になっていく部屋と他人になっていく彼女をずっと眺めていた。

 〈親密さ〉をそっくり残したままの恋の終わりは苦しい。「あ、お気に入りのTシャツうちにあるよ」「うん」「送ろうか」「うん」「これ本当よく着てたよね」

 それは、いつものふたりの、変わらない親密なやりとりでありながら、同時に恋の終わりの会話なのだ。

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「一秒で、」

 一秒で、その人のすべてが明らかになる瞬間がある。たとえば、冬に他人と指先が触れ合って静電気が起きたとき。「ひゃっ」と声を出して大きく手を引っ込めるのは常に僕の方で、相手は静電気よりも僕の大袈裟な反応に驚くことが多い。正直かなり恥ずかしい。

 僕の方も「ひゃっ」と驚きながらも、「これはただの静電気だ」と分かっている。分かっているのだがどうにも手遅れで、出してしまった声を飲み込むことも、大袈裟な反応を途中で止めることももうできなくなっている。

 相手が女性であった場合、ああ、これでこの人と恋に落ちる可能性はゼロになったな、と観念する。どの世界に静電気ひとつで自分よりも大袈裟に驚き、手を引っ込める男を好きになる女性がいるだろうか。

 これは単に静電気の痛みに強いとか弱いとかそういう話ではなく、人間の本質的な話だと思う。

 というのも、大学生の頃に冬の札幌に行ったときのこと。凍った路上で当時の彼女が足を滑らせた、その瞬間に僕は「わっ」と驚いて、繋いでいた手を離してしまい、支えを失った彼女は思いきり転倒したことがあった。彼女はひと通り呆然としたのちにむくっと起き上がり、お尻の雪を払いながら「あたし、なんか、わかった気がする」と呟いた。

 そのことがあってかどうなのか確かめることはしなかったので、分からずじまいではあったが、その人とは結局1-2ヶ月ほどして別れることになった。文字通り、一秒で、二人の未来は決まったのだ。

 彼女が足を滑らせた瞬間に、がしっと腕を支えて、微笑できるような男だったら、あるいは支えようとして一緒に転んでしまってもいいだろう。そうなったら別に二人で笑えばいいだけだし。ただ、とにかく僕のその反応だけはあってはならないものだった。

 たぶん僕が人に対してドライだと言われたりするのはこういう何気ない一秒一秒の積み重ねなのだろう。そういえばこの前もその、渋谷のパルコの一階のカフェで友達に「おまえって、もし今ここで崖から落ちそうになったとしても、多分腕を掴んで助けるタイプじゃないよな」と、ふと言われ別の友達が「それはそうかもね」って。

 いや、そもそも渋谷パルコのどこに崖があるんだよ。

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「飲み会」

 僕は飲み会が苦手だと友達に言うと、結構な頻度で意外がられたり、「飲み会なんて自然に楽しめばいいだけじゃん」って不思議がられることが多い。で、その度にその自然に楽しむというのが苦手なんだよね、と思う。

 飲み会の席では大抵両サイドに人がいて、右側の人と話していると、左の人が気になって仕方ないし、その逆も然りといったような感じで、両サイドの人と自然に話す、ということが難しいので、バランスを過剰に意識し続けることになって苦しい。

 やがて盛り上がってくると、みんなが自然に席を移動し始めたりして、自分のグラスを手に、トイレに立った人の席に自然に座っている。座られた方も自然にまた別のところに移動して、その場所で新たな話の輪を作っている。

 だが、僕は最初に座った席を動くことがどうしてもできない。みんなのようにすればいいと思っても、トイレに立った人の席に自分が座ってしまうと、何かおそろしい空気になってしまう気がして体が動かない。なぜなら、私だけは自然にそれができないからだ。

 また、ある程度ロジカルなトークの積み重ねによって構成された飲み会であれば、あの人とあの人の喋り方を何割ずつトレースしていって、あ、今日の飲み会はこんな感じの話題でこれくらいのテイストで話せばウケを狙えるんだな、みたいなチューニングとあとは一般的な会話のスキルセットで戦えるが、(それもそれで疲れるけど)一方で、参加者のキャラクター性に頼るタイプの動物的な飲み会になるとダメなので、もうあとは自分の領域を展開するか、領域展開の押し合いで負けた場合はもう本当に帰るしかない、というような感じになってしまう。

 さすがに突然帰ったらあまりに空気がヤバいので帰ることはないけど。

 なんにしてもそんな感じだからほら、たとえば飲み会のときに離れた席から「ちょっとおいでよ〜」って呼ばれるとすごく嬉しい。呼ばれた理由が何であってもすごく嬉しい。いそいそとそこまで行ったところで「なんかヤバいことしてよ」みたいな雑な振りをであったとしても。その瞬間にこの世界に触れられたような気がして嬉しい。

 ね、俺って結構可愛いでしょ?

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「恋愛相談」

 はじめまして。いつも楽しくブログを拝見しています。突然ですが、私も半年くらい片思いをしている人が居ます。
 ですがここ最近は倦怠期というか気持ちが落ち着いてきて、好きという思いが急速にしぼんでいっているような気がします。知り合いから大丈夫だよ頑張ろうと励まされても「どうせ無理だし」「無責任にそんなこと言われても」と腹が立ってしまい自己嫌悪に陥ります。
 稚拙さんはどのようにして好きという気持ちのモチベーションを保っていたのでしょうか?やはり稚拙さんにもテンションの波などはありましたか?長文失礼しました。

 ブログに載せてもいいということで真面目に答えますけど、普通に諦められるなら諦めた方がいいと思いますよ。俺の話だとモチベーションを保つための努力みたいなのは一切ない。むしろ、いつ片思いをやめられんだろうね、って毎月のように言ってた。長期間の片思いって、たぶん、迷惑そのものだし。

 正直、この相談を読んで、あの、悩んでる人にこんなこと言うのはあれなんだけど、それって最高じゃんって思っちゃった。特に喧嘩したとか幻滅するような何かがあったとかじゃないのに、好きという気持ちがだんだんとなくなってきたんでしょ。それってかなり理想に近いパターンじゃない?

 だって考えてみて欲しいんだけど、それって見方を変えれば「この人のこと好きかも……」と気付いてドキドキしてたさ、恋の一番最初の時と全く同じ状況にあんだよ。仲良しと好きの狭間で悩んでんでしょ。一番楽しいとこじゃん。これって恋のトロの部分じゃない?かーーー羨ましいーーーー。大将! トロもう一貫!

 ほら、俺の好きな人ってマジで最高だったからさ、俺が片思いしてても内心はどうかしらないけど、いつも通り、そりゃもう憎いくらいにいつも通り接してくれてて、しかもそれももう二年くらいずっとね。こんなのってほんとレアケースなんじゃないかな。普通は疎遠になるか不可逆的な関係になって終わるでしょ、セフレとかね。ほんと早いうちにやめた方がいい。片思いより友達としての方がはるかに楽しくて有意義な時間を共有できると思うし。

 片思いについて不肖な俺から言えることはあまりないんだけども、一つだけ、知り合いが何の根拠もなく応援してくれたり励ましてくれるのは、あなたの事を思っての百パーセントの善意なんだから、すべてが片付いたときには許して感謝しておやり、ということ。その人たちはおそらく、好きな人よりもあなたに寄り添ってくれている人たちだしね。

 あと、これは本題とは関係ないんだけど、急に恋愛相談を送ってこられるとびっくりするから、マジで控えてほしい。最初、嫌味かと思ったもん。落ち着いてからでいいから自分の書いた最後の一文を読み返してほしいんだけど、人には「腹が立つ」とか言う割には自分も同じ事やんだな、っつー感じだよ。なあ。

 あ、なんか腹立ってきたわ。冒頭で「諦めた方がいいです」みたいなこと言ってたけど気が変わった。お前も果てまで来い。絶対に途中で投げ出すなよ。失敗しろ。いいか、人に意見をもらってうまく立ち回ろうなんて二度と考えるなって。俺もしたんだからお前も同じ失敗をしろよ。それがフェアってもんでしょ?

 な。頼む。頼みますわ。俺悲しいんだ。お前が賢く振舞って、器用に生きていく姿なんて見たくねえんだ。なあ、ズルすんなよ。それはズルだよ。俺と同じ過ちをそっくりそのままなぞれって。頼む頼む頼む頼む頼む頼む頼む頼む頼む頼む。

 好きな人に恋愛相談して他人事みたいにアドバイスされる沼で、そこの泥をすすって生きようや。俺の言ってることわかる?伝わってるか?なあ。俺は今、お前に言ってるんだぞ。つまりさ、自分の名前のLINEスタンプを好きな人にプレゼントして、それを一度も使ってもらえないっつー経験をしてからまた相談に来てくれ、ってことを言いてえの。好きな人に「○○に送る専用スタンプ」をプレゼントして、それを完全に無視されてからまたここに来い。そんときは、俺、すげー優しいから。