桃色の憂鬱

文を書く練習

ミヤタという女

 頭の中にいる天使と悪魔が俺の恋愛にいちいち口を挟んでくる。好きな人のことを好きでい続ければ必ず結ばれますよ、と天使が優しい微笑みを浮かべながら言って、俺は、うんうんありがとう、そうだよな。惚れちゃった俺が頑張らなきゃ誰が頑張んだよな、って相変わらず今日も脈一つない好きな人に必死に心臓マッサージをしながら、でも心電図はずっとフラットなままで、はあ〜ってたまにため息をついたりする。

 

 そんな時には決まって悪魔がぼわわわんと横から現れて、おいおいそいつはもう死んじゃってるよ。そいつより可愛かったり優しいやつなんていくらでも周りに居るじゃねーか。でもそいつらじゃダメなんだろ、ならため息なんてついてねーでシャキッとしろ、なんて耳元で囁いてきて、オーケーオーケー、お前らグルってわけね、ちくしょーってまた心臓マッサージを再開する。

 

 正直さ、完全に飽きてはきてる。片思いって状況そのものに。最初の頃とかはさ、おい!目を覚ませよ!勝手に死ぬなんてぜってー許さねーぞ!くそっ!くそっ!とか言いながら救命病棟さながらの心臓マッサージをしててさ、視聴者もそのシーンを見ながら手に汗握って、お願い、生き返って、なんて思って、そのドラマチックな展開にドキドキしながら固唾を呑んで見守ってたんだと思うのね。そっから三ヶ月、ずっとそのシーン。このドラマ。いや、ほんと俺が不甲斐ないばっかりに、かれこれ通算1クールも心臓マッサージしてる。次回予告もずっと心臓マッサージのシーン。

 

 途中一回、知らない人がAEDみたいな機械を運んできて、俺すら状況が分かんないまま、離れて!ショック与えます!ドンッ!みたいなシーンがあって、それが終わった後、その知らない人は満足げに頷きながら帰ってって、あれ、これまさか心臓動いたんじゃね、つっておずおずと近付いてみたらやっぱり全然動いてなくて、じゃあ何だったんだよ今のヤツみたいな。周りにいるナースとかも、えっと、どうしましょうかみたいな顔してるし、俺も、あー、じゃあ、とりあえず心臓マッサージ戻りましょうかつって。祝!2クール目決定!って。アホの番組かよ。

 

 なんか途中から俺、生き返って欲しいとか振り向いて欲しいみたいなのから、自分がばかすかマッサージしてるもんだから手の感覚がおかしくなっちゃって、自分の心臓マッサージで起きた振動に、あ!今脈あったくない!?実は心臓動いてるんじゃないの!?って因果を取り違えて錯覚してた節がある。待ちの姿勢になってた。おかしくない?片思いしてる側なのにさ。まず俺は相手には脈がないってことをちゃんと受け入れないと、いつまで経っても片思いなんか始まらんないわけで。俺の好きな人は俺の知らないところで、俺の知らない欲望にもとづいて、ちゃんと日々反省と改善を繰り返して生きてる人間なんだから、俺はそれをちゃんと尊重しなきゃならない。

 

***

 

 あ、そういえば一昨日、以前の記事にチラッと出てきたミヤタと、振られた腹いせに飯を食べに行った。腹いせは、まあ、冗談だけど。なんかその日は午前中だけ会社の会議があって、ミヤタは結構ギリギリの時間にばたばたと眠たそうな顔で会議室へ入ってきたんだけど、ミヤタといえば少し前に告白されて以来、仕事の昼休憩の時にたまたま一緒になって飯を食うとかそんなのを除いたら、配属先も変わってほとんど会うこともなくなって、ラインのやり取りとかもそれから数回程度。まあ、ミヤタのことを狙ってるっつー同僚の話を聞いてたり、ミヤタ自身も上司からセクハラを受けて左手がうまいこと動かなくなって仕事を休んだりと毎日忙しそうにしてたもんだから、用事がある時しか俺からは送らなかったし相手からも特に用事がないと連絡はこなかった。ま、そりゃそうか。

 

 でも別にそのことでお互いに気まずくなったりとか避け合ってるって感じでもなかったから、すれ違う人すれ違う人に、え!やばっ!久し振りー!あ、ちょっと待ってここから髪出てるよ、動かないでね、あれ、これ髪留めなんだ、おっ、なになに君も久し振り、いつ以来だっけ?え、うそ、今週?あ、そっか、みんなバーベキューで会ったんだった、あははとか愛想を振りまきながら寝ぼけてるミヤタを近くから眺めて笑ってたし、それに気付いたミヤタも俺の方へ近付いてきて、おはよー、よこ座っていい?あ、でも、うち、夜勤明けでそのまま来たからあんまり近くには寄らないでね、くさかったら嫌だし、くさくないけどなんて笑いながら普通に話しかけてきた。

 

 どうぞどうぞつって始業までの時間、この間行った筋だらけの肉を出す焼肉屋でミヤタが口いっぱいの肉を頬張って、はふへて(助けて)……と二、三十分もぐもぐもぐもぐしてた時の話で、あれやばかったよね、うちローファー食べてるのかと思ったもん、とか話して笑ってたり、その時俺が飲んでた爽健美茶を見て、えー爽健美茶はないよ、一番好きなお茶ってなに? 爽健美茶に決まってんじゃん、えっ信じらんない絶対に生茶だから、とか言っておきながら、でもミヤタのカバンから出てきたのは伊右衛門で、ちょっと今出てこないでー! とか言ってるのを見て、二人で涙が出そうになるくらい笑ったりしてた。

 

 そんなこんなで昼休憩、ところで好きな人とどうなったのって訊かれて、あっその話なんだけどね、って俺が好きな人との経緯をこうこうこうでって説明したら、それもう完全に振られてんじゃんーとか笑われながら、いや、俺諦めてないからなとか言ったら、うちも諦めてないよみたいなことをさらっと言われて、うわひっどー今の顔もっかいしてみて、絶対相手の子も同じ顔してると思うよみたいな、ばかやろー大喜びでしょつって、でも実際どれくらい好きなの、もうそろそろ三ヶ月くらいになるなーみたいなそんな話をしながら一緒に昼ご飯を食べた。

 

 最近好きな人の話になると、実は俺、今まで黙ってたんだけどクルタ人だから、眼が深い緋色に染まって、絶対時間-エンペラータイム-に入っちゃうんだけど、そんな様子の俺のことなんて全く意に介さないミヤタには、じゃあうちらが初めて飲みに行った時にはもう好きだったんだねーとかさらっと話を戻されて、うわ、そっか、ほんとだねって、俺の眼の色も元に戻って。

 

 その日って二月にしては暖かくて、朝起きた時に、俺っち完全に冬の寒さに慣れちゃったみたいだわ〜なんて自慢げに言ってて、家族からそれは今日が暖かい日だからだよ、ちょっと難しかったかな、なんて優しく諭されながら家を出たんだけど、そんなことも忘れて飲んだ居酒屋の帰り道、ミヤタがいきなり、あれ? うち冬に慣れたかも、とか同じようなことを言って、笑い転げながらだよねだよねつって、そんなことがあって絶対にコイツとは仲良くなれるなと思った。

 

 あーでもそっか、あれからもう三ヶ月なのかーって。長かったようなあっという間だったような、うん、たしかにあの時にはもう俺、好きな人のことずっと好きだななんてちょっと一人誇らしい気分になりながら、……ああそうだな、みたいな、こう舌で頬の内側をグリグリしながら格好付けてたら、横でミヤタは、そんなことよりさ、うちほんとに臭くない?大丈夫?ってのんきに自分の心配してた。ミヤタ、ブレない女。

 

 会議が終わったあと、せっかく新宿まで出てきたんだからぶらぶらしてから帰るわつって、ミヤタもミヤタで終業後もなかなか帰らないで喋る女子グループに混ざりにいくっぽくて、じゃあまた、ちゃんと風呂入って寝ろよーなんて言いながらそこで別れて、俺は同期の男たちと近くにあった快活倶楽部へ行って、しばらくした頃にミヤタからまだ近くいるー? みたいな連絡が来た。

 

 それで時間が合いそうな感じなら一緒に帰るかって話になって結局合流、まだ早いし、失恋を祝してご飯行こ!つーミヤタに風呂入らなくて良いのかよみたいなことを言いながら、昨日21時くらいにお風呂に入ったからそれまでは完全にセーフ、21時を越えると魔法が解けて途端に臭くなるけどって、最悪なシンデレラみたいな設定を聞きながら一緒に歩いた。

 

 その途中、ご飯の前に服だけ買いに行きたいから付き合ってと連れてかれた新宿のエストで、ほんとにここって何も無いじゃんとか文句言うミヤタが最終的にフレンチスリーブのニットを一着買って、そのまま買ったばかりの服に着替えて出てきた。ああなるほど、それなりに本気でくさくないか気にしてたんだ、あと、お前、おっぱいそんなあったんだ、みたいな。

 

 そのまま新宿駅のすぐ近くにある中華料理店へ入った。ここって酢豚と大学芋がかなり美味しくて、麻婆豆腐はそれなり、他はダメダメ。だけどタバコが吸えるところで俺は何回か行ったことがあった。ミヤタは酢豚と悩みながら結局杏仁豆腐を頼んで、そしたらちょっとした財産くらいの量の杏仁豆腐が出てきて二人で大笑いして、ミヤタは目をキラキラさせながらそれを美味しい美味しいと食べ進めてたんだけど、最後は無表情でゆっくりと杏仁豆腐をかき混ぜるだけになってって、これってほんとはみんなで食べるやつなんでしょ?みんなしてうちを笑ってるんでしょ?と人間不信気味になってて、それを見て俺が笑ってミヤタもつられて笑った。

 

 その後場所を移して軽く何杯かお酒を飲んで、けどお腹はいっぱいだったしさすがにミヤタもお酒を飲んですぐ眠たそうにし始めたから、結局魔法が解けてしまう前に解散した。久し振りに随分と楽しかった。遊んだってほどでもないくらい短い時間だったけど、俺、好きな人に怒られて不安だって言われた日から女と遊ぶみたいなことってなんとなくしてなくて、大人数でとか飲み会でとかはあってもとにかく極力極力控えるようにしててさ。これからもたぶんそうするんだろうけど、やっぱり自分に好意を寄せてくれる人と遊ぶのってそれなりにドキドキするし、可愛くておっぱいの大きい子と一緒に居るのは良い。そうじゃなくても気の合う人と会うのって単純に楽しい。うん。楽しかった。でもさー。

 

 

 やっぱさーーーーーーーーーー全然さーーーーーーーーーーダメなのーーーーーーーーーもーーーーーーーーーーーーあほーーーーーーーーーーー。

 

 

 楽しいことが起こる度、そこでの好きな人の気配の希薄さに後から気付いて、目眩がするくらいの取り留めなさを感じてしまう。だから、そうであるから、どれだけそれ以外が楽しくっても家へ帰ると俺はまた心臓マッサージを黙々と始めるし、そうやってる自分が全然嫌いじゃない。正直かなり好きだし心地良いと思ってる。だから救えない。ホイミなんて使えないけど、代わりに覚えたペース配分という名の魔法を駆使しながら、たまに俺はお前が好きだと宣言しちゃいながら、堂々の2クール目を迎えちゃう。主演は俺でヒロインがお前。演者の変更はなし。天使と悪魔が耳元で囁く声をメトロノーム代わりに、今日も心臓マッサージをする。