桃色の憂鬱

文を書く練習

7月の嵐

 7月1日、そいつは突然やってきた。可愛い顔に悪戯な笑みを引っ提げて。予定より30分遅れて悪びれる様子もなく現れた小柄な女の子。とてもじゃないけど台風というには似ても似つかぬ、でもどう考え直しても台風と言うほかに形容する言葉が見当たらない。ピンクのノースリーブに青いジーパンの可愛い台風。

 

 俺の2022年を季節で表したら上半期はきっと満場一致で梅雨だろう。俺の脳内には元カノ梅雨前線がもう長いこと居座ってて、何やら「元カノには魔法みたいに世界を一新する驚天動地の神通力がある」とか「楽しいことが起こる度、そこでの元カノの気配の希薄さに後から気付いて、目眩がするくらいの取り留めなさを感じてしまう」とかうだうだほざき続けて半年が経過。

 一向に「元カノ愛してるよ気団」と「もうよくね?気団」のせめぎ合いが終わらないまま、とうとう友達からも「お前向こう3年くらい元カノ引きずってんじゃね?」とか言われ出して、それに対して俺も「そうかもな。てかそれ全然悪くないな。うんうん。」とか言って、いよいよ本格的な(救いようのない)長期化が見込まれた矢先、そいつはやってきた。

 

 何を話そうにも、何もかもがめちゃくちゃだから多分全然まとまらないんだけど、確実にひとつ言えるのは会った瞬間にもうビビッと電流が走ったみたいにそいつに釘付けになった、なんてことは一切なくって、そう。至って普通の、ただの可愛らしい女の子だなんて思ってた。あいつ猫被ってやがったから。

 その日はもう普通の初対面って感じで、適当にお酒を飲んで、何話したかとか全く覚えてねーけど、とにかくもうゲラゲラ笑って、そんでプリクラ撮って、その辺の確実に禁止の広場で「夏だねー」「夏やね」とか言いながら花火をした。

 初対面の俺達はとにかく似てた。お互いにしっかりADHDだから待ち合わせの時間には間に合わないし、なんならお互いに土地勘ないから待ち合わせの場所すら分かんなくて全然会えないし。話していても共感できることが多くって、突発的にダメなとこで花火をやっちゃおうなんてノリも近くって。もし、俺が女の子だったらこういう感じなんだろうって。そういう感じ。

 

 ここまではすげー普通、だと思ってた。めちゃくちゃ楽しくって、ただ楽しいだけで終われたそんなありきたりな夜だったから。俺は全然男女の友情存在する派だしね。でも絶対にこの時点で気づくべきだったんだよ。だって俺冒頭で言ってたじゃん。「楽しいことが起こる度、そこでの元カノの気配の希薄さに後から気付いて、目眩がするくらいの取り留めなさを感じてしまう」って。元カノ抜きのただ楽しいだけの夜なんてこの半年間本当に来てた?ねえ本当に?

 思えばこの時点でもうきっと無意識に、すごく自然に侵食されてたんだろうな。ありきたりな夜っていうのは訂正しよう。「もうよくね?気団」がちょっとだけ「元カノ愛してるよ気団」を押し上げて、元カノ梅雨前線がほんのちょっとだけ北上した、そんないつもよりほんの少し特別な夜だった。

 

 ここまでは俺が普通にちょっと前向けてよかったねって話なんだけど、そんなわけない。だって次の日も会っちゃってんだもん。他の人と飯食うの約束しててコース料理まで連れてってもらってたのに会えるって言うもんだから、会いたくなっちゃって、コースを途中で切り上げて会いに行った。(これはマジで俺が悪い、人としてヤバい)

 今度はだいぶ打ち解けた感じで飲んで、相変わらずなんでか分かんないけど、ゲラゲラ笑って、絶対に禁止の場所で2回目の花火をした。そこで絡まれた外人にタバコと偽って渡されて吸っちゃったマリファナのせいもあるかもだけど、やっぱりすげー楽しい夜で、楽しすぎたから手を繋いでスキップしながら一緒に帰っちゃった。そんでなんかチューされちゃって、すげー可愛かったから部屋にいる友達そっちのけでめちゃくちゃチューして、気づいたら友達が部屋からいなくなってたんだよね。(その節はマジでごめん)

 

 チューなんて久方ぶりにしちゃったもんだから、俺はもう自慰を覚えたての中学生かってくらい舞い上がっちゃって、勝手にワクワクしてた。そんなこんなで「元カノ愛してるよ気団」も「もうよくね?気団」もそっちのけで、太平洋上では密かに上昇気流が強まって熱帯低気圧が発生していて、またひとつ俺の中でコントロールできないものが増えた。

 

 そんで次の日。いやこれマジで言ってる?マジなの?なんで出会って3日で3日連続会ってんだよ。フットワーク軽すぎだろ。そいつも俺も。友達とドライブしてた車で夜勤上がりのそいつを拉致って、ショッピングモールに連れ出した。なんかアパレル店員のオカマにやたら好かれて俺だけインスタ聞かれたりケツ触られたりとかちょこちょこ面白いことがあって、謎にペアルックしてプリクラ撮って、本当はその日帰るつもりだった予定を後ろ倒しにしちゃった。

 この頃にはもう熱帯低気圧なんて生易しいものじゃなくて、立派な台風が猛威を振るってたから、帰らなかったじゃなくて帰れなかったんだよ。なんかほら、あるじゃん。交通機関とか運休になるやつ。そういう感じだよ。知らんけど。とにかくまあ、言い訳させてよ。ね?

 

 そして、そいつと出会って4度目の朝が来た。もう十分に発達した大型台風が唸りをあげて俺の元へと猛スピードで突き進んでくる。もう随分と長いこと俺の脳内を支配した梅雨前線はどこ吹く風。俺はもう本当になす術もなく本格的な台風の到来をただ待つばかりだった。

 決定的だったのは、水族館で割と午前中から夜まで一緒にいたからだろうか。その後時間を忘れて一緒に飲んで、電車を失って一緒に泊まったから?もうここまで来ると自分でも本当によく分からない。こんな急激に密度を上げて誰かとの関係が進展することは今までなかったから上手く頭では整理できない。でも、その日の夜に(正確にはもう日を跨いでたけど)俺から「付き合おっか」って言っちゃった。そんでもってお付き合いが始まっちゃった。7月5日。極度に発達した台風が停滞前線を駆逐して上空を完全に支配した。

 

 俺ってば、約3年付き合って、約2年の同棲期間を経た後だから次の恋愛にはもっと時間がかかる、全然心の準備が、心の休養がまだまだ必要なんだって思ってた。それこそ「もうよくね?気団」がちょっとずつちょっとずつ北へと前線を押し上げていって、いつか俺の中で完全に踏ん切りがついたときに、ようやくまた新しい恋愛ができるんだと思ってた。そうあるべきだと思ってたし。半ば強迫観念。だって、そんな中途半端な状態で次付き合った人をちゃんと好きになれる自信がなかったし、それって相手にとっても俺にとっても良くないことだって思ってたから。次の恋愛は絶対に正しく在るべきという思考が俺を占めていた。その方が幸せなんだって。

 

 そんなことはなかった。改めて思う。予想外のことが起きるからワクワクするし、人生は楽しい。別に自分の人生に何か予定を立てたつもりもないけど。でも、なんつーか俺のポリシーってほどのもんでもないけど、結局どこまで行っても人生は選択の連続で、そこからは逃げられないんだから、どうせなら「正しさ」より「ワクワクする」を選び続けたいと思っていて、選んだ結果がこれだ。結論最高の選択をしたと思ってるし、これから先はこの選択を正解にしていけばいいんだって思ってた。

 始まりは唐突だったけど、その割にお付き合い自体はとても穏やかだった。急激に関係が進展したことを除けば、2人の関係性はずっと穏やかだった。そいつは思っていたより内向的で、想像していた以上に真面目で、元カノを大切な思い出として大事に保管している俺すらも許容してくれる優しい女の子だった。

 頻繁にやり取りをしてお互いの話をして、夜になったらセックスして。そんなふっつーーーーの感じ。どこか心ここに在らずだった俺もそんな日々の中で心を取り戻していって、1日1日そいつを愛する準備が整っていった。仕事終わりにちょっと電話したり、向こうの仕事終わりに出かけたり、そういう些細なことが幸せだった。束の間の無風地帯。台風の目。

 

 でも、局所的な豪雨が1ヶ月2ヶ月と続くことがないように、急激に燃え上がった熱というのはある点まで上昇すると急降下を始める。とにかくある点で熱から醒め、人々は我に返って気が付く。「自分本当にこのままでいいんだっけ」って。そして、俺よりも先にそいつにそれが訪れた。台風の目が通りすぎ無風地帯は唐突に終わりを迎え、轟音と共にまた嵐の第二波がやってくる。お付き合いをしてちょうど1ヶ月くらいの8月3日。

 「一度距離を置きたい。本当に好きかどうかもう一度しっかり考えさせてほしい」

 と、そいつは俺に言った。何か前触れがあったわけではない。いや、前触れはあったか。その前日くらいは流石にちょっとよそよそしかったもんね。でも、何か特別な転機もこれといってなかったはずだ。多分一緒にいて、「わかること」よりも「わからないこと」の方が増えて、戸惑いが大きくなったんだろう。認識のズレとかバックグラウンドの違い、新しい環境への適応力。当たり前だけど、俺達は思っていた以上に違う人間だった。そいつは本当に俺が思っていた以上にだいぶ内向的でずっと普通の女の子だった。

 

 そして、その話を受けて俺はショックとかそういうのは全然なくて「そりゃそうだよね」って思っちゃった。拍子抜けする部分は正直少しあったけど、冷静に考えたら俺も彼女のことを全然分かってないなって思ったから結論「距離を置く」っていう彼女の判断は大賛成だし、付き合うまでの過程とその冷静さのアンバランスさにまた彼女を愛おしくなった。「分かる」「分からない」を抜きにして、俺の気持ちは確実に彼女に向いてるし、俺の中ではそれが100%の恋愛感情だってことは自信を持って言えるけど、事実彼女の好きなこと、嫌いなもの、したいこと、してほしくないこと、本心何を考えてるか、本心俺をどう思っているか。そういうあらゆることが分からないまま密度濃く突き進んだ1ヶ月間だった。

 

 本当に優しい子だから、それが彼女の俺への気遣いなのか、それとも本心で俺との関係を悩んでくれているのかその辺よく分かんないし全然期待なんかできないけど、でも良くも悪くも「楽観的すぎる」のが俺の取り柄だと思うので、とりあえずは前向きに考えて「距離を置く」期間で俺も彼女への向き合い方とか諸々を整理していけたらいいなって思ってる。形はどうあれ距離を置いたその後で、俺と彼女の関係性はより深まると思っているし、お互いにもっと正直に生きていけるんだろうって思っている。

 俺としてはどっちに転んだとしても間違いなく、この1ヶ月間は最高だった。たとえ、これが一夏の恋だとしても、俺の中で長らく停滞していた元カノ梅雨前線を消滅させてくれた彼女にはもう感謝しかない。もう全然前を向いて歩いていける。大丈夫。欲を言えば、一旦通り過ぎた7月の嵐が、全く説明のつかない気象予報士もびっくりの軌道でもう一度俺の方に帰ってきてくれたらいいなとは思うけど。でももしそうなったら多分もう台風って形容するのは正しくないんだろうな。台風一過?8月の晴天?うん、どれもまだ全然しっくりこないな。そうなったらそのときにまた新しい名前を考えよう。

 

 つーことで、2022年の夏が特大の嵐とともに始まって、随分と晴れやかな気持ちで俺の2022年下半期も始まりました。皆さん夏休みはいかがお過ごしでしょうか。

 

追伸

えっと、8/18(木)に「別れよう」ってLINEが来て、嵐は意味不明な軌道を描いて帰ってくることなく北上していきましたとさ。