桃色の憂鬱

文を書く練習

うまく分類する方法しない理由

 今ブログのカテゴリ分けですっごく悩んでて。全部未分類っていうのも味気ないし、そんなブログすごいとっつきにくいじゃん。たとえば、他人と友達と恋人と家族が全部一緒くたになっちゃってる人たちがいるとしてさ。家に帰ったときにいきなり電気がついて、知らないやつが部屋の奥からケーキを運んできて、今日お前の誕生日だろ、つって他の奴らもニヤニヤしながら口々にハッピーバースデー!おめでと!みたいな。クラッカーがあちこちから鳴る中、見たこともない女が照れながら現れて、来年もずっと一緒にいようねとか言ってプレゼントをくれたりしてさ、そのプレゼントを開けてみたら、おばあちゃんいつもありがとう、とか書いてあんの。んで、そいつら全員赤の他人。未分類ってこんな世界観な訳。俺、今これを書きながら怯えきってるよ。怖すぎる。あと、例え話が長すぎる。

 そうじゃなくてもさ、このブログをわざわざ読みに来てくれてる人なんてよっぽど暇を持て余してるか、4G回線に親を殺されてどうしても通信制限に引っ掛かりたい人か、それかあとは俺のことを完全に恋愛対象として見てるってパターンだけじゃんか。実際、一つどころか全部に当てはまってそうな人がチラホラ居るし、そうなると、パケットを浪費することと俺だけが生き甲斐になってる人たちってことで、本来、俺の好きな人の話なんて聞きたくないはずなんですよね。モヤモヤしちゃうから。(は?)

 だから自分も含めて、その人が好きなカテゴリの記事だけを集めて読めたら良いななんて思いながら、俺フィクションも書いてたからさ、とりあえずしばらくの間は「記事」「創作」で分けてて。で、ある日急にハッとして、いやいやいや、全く好きな人問題の方が解決してないじゃんって。あわてて「好きな人について」「好きな人じゃないことについて」「創作」に分類し直した。ならまたすげー問題が起こって。

 書いた記事、全部「好きな人について」に分類される。いやー想定外だわー。ほらだってさ、ダラダラと一つの記事に四千字も五千字も書いてたらさ、途中に一つや二つくらい好きな人のこんなところが好きとか、好きな人は寝顔が天使過ぎるに違いないみたいな話が入るわけでしょ?入るよね?俺ここからおかしくなってる?入るんだよ。俺はおかしくない。おかしいのはお前だ。

 で、強引に話を戻すけど、好きな人の話が入ってしまうとそれはもう記事のカテゴリとしては完全に「好きな人について」にしなきゃいけないわけで、事実こうやって書いてる間にもまた一つ「好きな人について」に分類されそうな記事が出来上がってる。

 んーどうしよっか。たとえばじゃあ、その記事の主題が好きな人についてじゃないなら「好きな人じゃないことについて」ってカテゴリに分類する、っつーことにしても、結局そっちでも好きな人の話をしているんだから当初の目的は達成されないわけだし、そもそも俺が世界を測るために使ってる物差しがメートル法じゃなく好きな人法を採用している以上、「今日は会社の同僚と近くの有名なパスタ店へ行きました(^o^) でも、何だか味気ないなって思ってたら、そっか、足りなかったんだ、好きな人の笑顔っつー名のスパイスが……。」みたいなさ、全てがそういうテイストになっちゃうもんだから、「好きな人じゃないことについて」なんてカテゴリに分類される記事は本来あり得ないんだよ。

 まあこんなの全部まとめて「妄言」にでも分類しとけば解決するんだろうけど、いくらなんでもそれは悲しい。いつか好きな人との間に子どもができて、その子どもがこのブログを読んだ時、自分の父親が書いた「妄言」にカテゴライズされた母親との恋物語を読んだらどんな気持ちになるんだろうって考えてみたんだけど、そんなの爆発じゃんか。普通に父親のブログを見つけた時点で終わりなのに、それが「妄言」ならもうそれは爆発じゃん。なんか名言みたいになったけど。妄言は爆発だ、みたいな感じになっちゃったけど。

 そんなこんなでどうしようどうしようつってしばらく悩んでたんだけど、よしもうこんな時は他人の知恵を借りるに限るなと、会社の同僚を飯に誘って上記の内容をそのまま相談してみました。そしたらその同僚、何故か苦虫を噛み潰したような顔してたよね。

 俺それ見てびっくりしちゃって、え、大丈夫?ちょっとすみませんー!この料理苦虫入ってるんですけどー!って店員にクレームを入れたりしてたんだけど、結局その同僚は、うーん、まあなんだろ、たとえば、好きな人の部位ごとに……、って絞り出すように言った。

 んなことあり得るのかよっつー。どこのブログがカテゴリを「顔」とか「脚」みたいにしてんだよ。そんなのエクゾディアが更新してるブログだけじゃん。ねーけど。俺、こんなことを本当にわざわざ書きたくないんだけど、エクゾディアが更新してるブログなんてものはないんだよ。そもそもこのブログを読んでる人たちが、今日は久し振りに口元を褒めてる記事を読みたいなー、あっそうだ、この「顔」カテゴリから……おっ、発見!これすごく便利だなー!ってなるわけなくない?仮に読者の間ではそうなってるとしたら、それは俺、もう、ブログを辞めるわ。未分類の時より断然怖え状況だし。まあだから、結局名案も浮かばないまま、今まで通りとりあえず「好きな人について」「好きな人じゃないことについて」「創作」の三つを置いて、その時自分が書きたいことの主題がなんだったのかで分類することにしたんだけど、何か他に良い案があったら教えてください。

/

 そういえばこの同僚とご飯を食べてる時、好きなタイプは?みたいな話になって、そいつは、優しい人が好きカナ……?みたいなことを言ってたんだけどさ、この答えってマジで意味がなくない?その受け答えをされても俺は少しもその人の好きなタイプの理解へ近付けないわけじゃん。へー!なるほど!優しくない人はタイプじゃないんですね!つって。意外だねー、優しい人かー、たとえば、えっと、陛下?みたいな。いや、あの、申し訳ないけど、優しい人が好きなのは全員だよ。

 物理学や化学の世界では「無視可能性」つー、それがあまりにも小さな確率だったり、稀な例外だった場合には、その可能性を無視しても構わないって言葉があるんだけど、優しくない人が好きなんてパターンは、まさに無視可能性つーことで、初めから考慮なんかしてないわけじゃん。私、徹底的に折檻されないとダメなんです、だから優しくない人が好き、みたいな、そんなパターンはそもそもこっちの選択肢にもないわけで。

 何もそんなに怒らなくっても、みたいに思われるかもだけど、ほんとみんなにはちゃんと考えて欲しくってさ、好きなタイプは?うーん優しい人かな、つーやり取りで浪費された十秒間で何が出来ると思う?言っておきますけど、十秒もあればおっぱいを揉んだ後にありがとうってお礼を言えますからね。そうなんです、今ハッとした顔をしてる人たちはもう気付いたんだろうけど、これはただ他人の十秒間を無駄にしたっつーだけの話じゃなくて、おっぱいを人から奪ったんだよ。言わば「おっぱい可能性」を奪ったの。言わば、とかいってうまいことまとめようとしたけど別にうまくなかったし、こんなところに話が着陸すると思ってなくて俺もびっくりしてるんだけど、みんな話について来れてる?無理そう?俺もそろそろ無理だよ。大丈夫、君は独りじゃない。

 いや、これがね、たとえば好きなタイプがイケメンだったら分かるの。たしかにイケメンもみんなが好きなんだけどさ、あえて一番にそれを持ってくるってことは、私は他の人よりも顔面を評価しますよっつー意思表示なわけじゃん。他が多少あれでも顔がかなりイケメンなら全然好きになりますよっていうさ。

 けど優しい人が好きって言ってる人らは、その人が他の女に優しくしてたら不機嫌になるじゃん。ちょっとでも優しくしたら不機嫌になるのに、たとえば何々ちゃんが終電なくしちゃったから俺んちに泊めてあげたんだーつーかなり優しい人だった場合、それはもう爆発なわけじゃん。また爆発したわ。妄言と優しさは爆発って曲、B'zになかった?

 本当にそれが好きなタイプなら、それが誰に向けられたものでもプラス評価になるはずで、実際イケメンが好きな人は、別にそのイケメンが他の人に対してイケメンでも怒らないじゃん、だってそこが好きなところなんだから。要するに自分だけ特別扱いされたいって話なんだろうけど、それは優しさじゃなくて普通に下心だよ。性欲を燃料にして動くやつだよ。

 あ、好きな人がタイプ、みたいなことを言ってる人らは、この段階にも達してない完全に終わってる人たちですからね。なんかいかにもこれが真理っしょ、みたいな顔してっけど、そもそも会話ができてないタイプだから。

タイプ(英:type)[名](スル)

1 型。型式。「古いタイプの機械」

  つまりこれって、異性を何らかの基準で分類した時に、あなたが好きになる異性に共通する特性や傾向は?って問いなわけで、それに対して「好きな人」って答えるのは、病院なら普通に国民健康保険が効くタイプのやつじゃん。治療費が三割負担で済むやつの答えじゃんか。今どれくらいあり得ないことが起こってるか分かります?記事を何らかの基準で分類した時に、あなたが書いた記事に共通する特性や傾向は?って問いに対して「記事」って答えてた人に馬鹿にされてるんだよ?大丈夫?

はてなブロガーは二度話が逸れる

 自分のブログを読み返してて思ったんだけど、あまりにも話の脱線が多過ぎる。普通の人なら俺が脱線してしまった部分だけで一つや二つ、記事として公開できるくらいの文量を書いてしまっている。いくらなんでもこれはひどいなと思ってて、だから今回はもう、絶対何がなんでも決められたレールの上だけを走ろうと。さすがに「話が脱線してしまうヤバイ」って話をしてる時に話が脱線するのは、なんつーか、できる限りオブラートに包むけど、大人としてマズい状況と思うし。

 いや、これはほんとにネタ振りでもなんでもなくて、万が一、今回の話が途中で横道に逸れたら、俺はもうその瞬間にこの記事を書くのを止めて、すぐに救急車を呼ぼうと思ってる。だってあり得ないし。それくらいの覚悟でもってキーボードを叩いてる。これは自分自身との戦いであり、これを読んでくれてるみんなとの約束でもあるわけ。俺は必ずこの話を真っ直ぐ書き切って、最後は一人一人にちゃんとありがとうって伝えたい。これまで支えてくれた人、そしていつも見守……っと危ねー。今脱線の気配がしたわ。ちょっと車体が傾いてた。いつもの俺なら確実にこのまま走り出してた。行く先も分からぬまま、暗い夜の帳の……っつーのは、あの、ほら、嘘、っていうか、冗談みたいなやつで。ああ怖えよ。言わんこっちゃねえ。ほんと言わんこっちゃねえよ。油断したらすぐこれじゃん。自分でもまさか三行で二回も脱線しかかってることに驚きが隠せないままなんだけど、でもまあ、これで分かってもらえたと思う。俺がどれだけ本気なのかっつーことが。

 うだうだしてたらどこで脱線するかわかんないからさっそく本題に入るんだけど、どうして急に俺がこんな危機感を持ち始めたのかっつーと、『機関車トーマス』にスマジャーって奴が出てくるんだけどさ。いや、ちょっと待って、大丈夫だから。落ち着いて。分かってる。みんなの言いたいことは全部分かってる。ほら怖くない。さあおいで。ね、怖くない。怯えていただけなんだよね。うふふ。ユパ様、この子私にくださいな。つってね。いやまあ、これは、普通にアウトですよ。書き切ったし。ユパ様まで出てきたんなら言い逃れするつもりはないよ。けど今回だけはちげーの。あえて『風の谷のナウシカ』をやり始めたみたいなとこある。これは脱線の基準を示すものっつーか、標識? そう、道路標識みたいなやつで、あえて、のやつだから。とりあえず救急車は呼ばずに聴いてほしい。『機関車トーマス』に関しては全く問題ないし。これは脱線に関する話だから。

 このスマジャーってかなり運転が荒くって、事故とかもバンバン起こしてるようなキャラクターだったんだけど、それを注意された時も、

ちょっとの脱線くらい、誰も気にしないさ

 なんて開き直るようなやつでさ。いや、まあ、これが比喩ならかなり深い言葉なんだろうけど、なんたってこいつ汽車じゃん。汽車の言う脱線なんて普通に死亡事故のことなんだから、最後はマジ切れした支配人に車輪を外されて発電機にされちゃって。結局スマジャーはその後車庫で発電機として一生を終えるんだけど、この話をブログ読み返してる時に思い出して、ほんとに震えた。これ明日は我が身だな、と。

 いや、自分のブログで話がいくら脱線しようと、さすがに発電機にはされないだろうけどさ、だからって開き直って、これがわしの持ち味じゃ〜い! なんてやってたら、いつこのスマジャーみたいにはてなブロガーから目をつけられて足をもがれるのか、分かったもんじゃないじゃん。俺、インターネットがそういうところって知ってるし。ほら、足をもがれた話をブログで書けよ(笑)まーた話が脱線するんだろーなこいつ(笑)なんて脅されながらパソコンの前に座らされてさ。そんな状況になったらさすがの俺でも、血が止まらないです。誰か助けてください。としか書けないじゃん絶対。さすがのユパ様もこの時ばかりは出てこない。だって俺、虫の息だろうし。で、その記事がたまたま有名ブロガーの目に止まって拡散されて、一気に世間も注目してさ、まあそこまできたら『闇金ウシジマくん』に取り上げられて、はてなブロガーくん編g

さようなら、いままで魚をありがとう。

 おれがこのブログを書き始めたり、様々なSNSでネジの飛んだポエムを垂れ流すようになったり、壊れたラジオみたいに繰り返し同じことを反復するようになったり、そういうおれがイカれたすべての元凶(すべては言い過ぎかも。7割くらい)の好きな人、改め好きだった人の夢を久々に見た。

/

 マジでおれの知り合いしか読んでないこのブログって多分、もう書き出しだけでみんな誰のことだか分かってるはずだし、またそいつのことかよ。もういい加減にしてくれよって思ってるんだろうけど、本当にこの辺で最後にするから許してほしい。

 そう、すげー久々に夢見たんだよね。でも今日の夢はいつもと違って、デートしたりとかそういうのではなくて、普通に元カノが付き合い始めたっぽい男と元カノが出てきてなんかおれに?「結婚するけどいい?」みたいなこと聞くからちょっと笑っちゃってさ。「別にいいじゃん。なんでおれに許可取るの?」って返して、そしたら「そっか」つってどっか行ったから、おれはその後ろ姿を眺めながら「じゃあね〜!!!!」つってお別れする夢。

 元カノの夢を見た後っていつも本当に最悪な目覚めなんだけど、今回ばかりはカタルシスっていうのかな。多分ちょっと違うんだけど、でも本当にすごい爽快感があったんだよね。なんてことをしみじみと思ってちたら、ブログ書こうって思って、いまMacBookの前に座ってるわけだけど、いま思えばそいつとの出会いは本気で狂ってた。

/

 それは2016年の8月のことでその日も例に漏れずめちゃくちゃ暑かったんだけど、新宿の居酒屋で飲んでたら、おれの友達がインスタ見ながら「彼氏と別れたばっかのけっこう可愛い女の子が新宿で飲める友達募集してるわ」つったから、じゃあ合流するか〜つって、トントン拍子で話が進んだっぽくてそいつと初めて会った。

 第一印象、「いやけっこう可愛いってなんだよ!めちゃくちゃ可愛いじゃん!」って感じで多分おれはすげえキョドってて、でも喋ったらこの前新宿のバリアンで元カレと殴り合いの喧嘩をしただの、「お願いだから別れてください」って駅のホームでその元カレに土下座されただの、パンチの強いエピソードが飛んできて、人は見かけによらないものだなって思った。

 その後、「そういえば私今度、友達と旅行行くんだけど、旅館一緒に探してくれない?」って言うから、ネットで一緒に見てて、「ここいいんじゃね?」つったら、「お、予約で楽天ポイント貯めれるじゃん。カード持ってたらポイントつけてあげるよ」って言うので、カード貸したら「へへっ。使っちゃった」つって、俺がこつこつ貯めてた8000ポイント全部使われてた。本当になんだこいつ。そんときは酔ってたからおれも爆笑してたけど、翌朝冷静になってめちゃくちゃ後悔したよね。

 その日はベロベロになったそいつが「なんか体動かしたいな〜」って言うから、歌舞伎町にあるボロボロのバッティングセンターに行ったんだけど、なんか謎のスイッチが入っちゃったみたいで、突然泣きながらバット振り回し始めて大声で「死ね〜〜!!!!」ってバット持ちながら本気で追いかけてくるからさすがに死を覚悟したのと同時に、「あ、こいつ多分本気で関わっちゃいけない人間だ」って思ったんだよね。全部がキモくてもうめちゃくちゃ覚えてる。

/

 その日になんか分かんないけど結構気に入られたみたいで、定期的に遊びに誘われて、割と警戒してたから行ったり行かなかったりして、他にも色んなことがあって2年後の11月に付き合うんだけどさ。

 付き合ってみたら、結構波長が合ったみたいで、出会いとは対照的にずっと穏やかで、「なんかすぐ別れると思ってた」なんてお互いに話しながら、ちょっとずつ思い出が増えていって、徐々にそいつのことが愛おしくなっていて、気づいたらそいつが世界で一番可愛くなってたそんな頃合い、お互いに就職するタイミングで「一緒に住まない?」って言われてまあいっか、つって。同棲も始めちゃったりした。

/

 なんか多分、本当の意味で初めて人を好きになれたっつーか、結婚とかよく分かんなかったし、なんとなくおれは一生しないんだろうな、とか思ってたけど、こんな安定した日々が続くなら結婚してもいいかもな。って初めて思ったりして、一緒にいてちょっとずつ自分が変わっていく感覚も、違和感なくそれを受け入れている自分自身も心地よかった。

 でも本当に、マジでめちゃくちゃ好きだったなー。それこそこんな意味わからん気持ち悪いブログ書いちゃうぐらいには。恋人って最後は自分に失恋を与える者だと思っていたから、ずっとなんてないと思いつつもなんとなくずっと一緒にいられそうだなって思った矢先、「別れよう」って。

 彼女の友達と4人で麻雀を打った日の夜にフラれるわけ。もう夜遅いから明日話そうって言って、おれはダブルベッドで、彼女はソファで寝て。次の日おれは初めて仮病を使って会社を休んで、二子玉川歌広場で2時間部屋を借りて色んな話をした。結婚した先にきっとお互いを好きじゃなくなるだろうこと、多分ちょっと気になる人ができたこと、おれが昔ほど彼女のことを大切にしてくれていないように感じること。全部聞いて「あ、もう無理だなコレ」って思ったから別れることにした。

/

 多分二十歳過ぎてから初めてめちゃくちゃ泣いたんじゃないかな。元々そんな泣かないのもあるけど、直近泣いたのって全部そいつが理由だった気がする。失恋ってこんな辛いんだ、みたいな。何してても楽しくなくって、何食っても味がしなくって、何かしようにもずっとそいつのことを考えてて何もできなくなるみたいな。そういう感覚。五臓六腑が抜け落ちて表皮だけでなんとか体裁を保ってるみたいな。そんな状態。

 あれだけ生きたいと思えた瞬間があって、あれだけ死にたくなる瞬間もあって、生まれて初めて感じたことがあって、生まれて初めて考えたこともあって。そいつは恋愛を通して初めておれに強烈な感情を与えてくれた人間だった。めちゃくちゃしんどかったけど、それがある人生とない人生だったらある人生で良かったなって思えるくらいに貴重な経験だったと思う。今思えばね。

/

 いやーでも長かったな、本当に。こんだけつらつらと書いても微塵もセンチメンタルな感情が湧き上がらなくって、そんなふうにゆっくりと自分が変わっていってたことも、そんな自分に違和感も不快感もないことも全部不思議で、すごく心地いい。

 直近振り返ると、男女問わずおれと一緒にいて楽しいって言ってくれてすげー遊んでくれる友達がいて、「元カノが匂わせてきてうぜーからおれもやり返す!」とかしょうもないこと言っても笑顔で付き合ってくれる優しいやつもいたりして(変なことに付き合わせてごめんね)、なんかおれって周りに恵まれてるなとか、形は違えどみんな愛してくれてるんだなって本当に思う。

 数ヶ月前のおれは本気で「こっから先の恋愛全部妥協で終わった」なんて思ってたけど、そんなことないんだろうなってやっと思えるようになった。きっとどうせそのうちまた誰かを徐々に愛おしくなって、そいつに「今日も世界で一番可愛いね」とか言ってるんだろうな。おれが根っこからちゃんとキモい人間なのはそうだからさ。でも、ようやく元カノに顔向けできる自分になれた気がする。まあ、もう一生会わねーけど。

/

 おれはおれで今そばにいる人たちを大切にするし、これからもう一回誰かのことを好きになって、むかしあなたにしたようにちゃんとその人のことを愛するんだと思う。んで、自分で言うのもなんだけど、おれってけっこうイイ奴だからさ、その誰かに愛されながら一緒に幸せになっていくんだと思う。

 だから、君も周りの人と上手くやって、その瞬間好きな人を大切にして大切にされて、幸せに過ごしてくことを陰ながら祈ってるよ。お互いに色々と不器用だけどさ、そのとき抱いた感情を大切にしながら生きていこうぜ。さようなら、いままでありがとう。

スターライト

 

 人間の内部には、多かれ少なかれ空洞がある。それは脳のあたりかもしれないし、肺や心臓のあたりかもしれない。このことを知ったのは18の時分だった。とにかくそれは誰にも彼にも存在しているのだと。

 ところが空洞には、とりわけ頑丈な蓋が施されていて、僕達は大抵それを閉じたまま生きていくことができるようになっている。鍵をかけることだって出来るし、無邪気な子供なら蓋にだって気付かないこともある。あるいは快楽によって存在を忘れることもできる。

 しかしながら、ある種の人間の場合、その蓋は往々にして無意識のうちに解錠され、あらゆるエネルギーがその空洞に落とし込まれるのだ。食欲、睡眠欲、性欲、承認欲、自己実現欲、そういった低次から高次までのあらゆる欲は、意思の方向によらず、穴の中に落とし込まれて消える。いや、消えない。消えたかのように錯覚するが、いつかどこかで形を大きくして再び自身に襲いかかってくるのだ。その空洞を虚無と呼ぶ者もいるし、鬱と呼ぶ者もいる。ここでは「スペース」とでも呼ぼう。空白、宇宙、そういった様々な意味を込めて。

/

 空洞の中身は手に取ることが出来ないが、無ではない。宇宙(space)が、目に見えない暗黒物質(dark matter)に混沌と満たされているように、心の空洞(space)には、過ぎ去ったはずの陰鬱な問題(dark matter)が整理されることなく山積みになって漂っている。

 空洞の中に存在する記憶というものは、宇宙に浮かぶ恒星に似ている。それらは、ある時点では太陽のように燦然と輝きを放っている。一方で、ある重さ以上の恒星というのは否が応にも核分裂反応によって膨張を続け、最後には自重に耐えきれず超新星爆発を起こすのである。同様にして、記憶というのもまた自己分裂を繰り返すことで膨張を続け、輝きを放っていたはずの記憶は、何かを照らし続けるエネルギーを持っていたはずの過去は、最後にはその膨れ上がった自らの重みを以て、自らを破綻させるのである。ある重さ以下でなければ、恒星も過去も膨張を続け、そして爆発するのだ。意思の方向によらず。

 太陽質量の30倍を超える恒星は、超新星爆発後にブラックホールを形成すると言われている。ブラックホールの中心には強力な重力場が存在し、あらゆるものを引き摺り込む。脱出には光速を要するため、外部にいる観測者は、ブラックホールに自由落下する物体がぐちゃぐちゃに歪んで見える。本当は何も歪んでいないにもかかわらず。

/

 ニーチェによれば、事実なんてものは存在しない。存在するのは解釈のみだ、と言う。そう、記憶というのは曖昧で、僕達は過去に対して解釈を加えたものを「記憶」と呼んでいる。現在に生きる僕達は過去にとってただの観測者であり、ブラックホールに吸い込まれていく過去は、解釈と言う名の観測によって常に歪んでしまうのだ。だから事実というものは、心の空洞にブラックホールがある限り、観測できないのである。今この瞬間以外は全て過去なのだから。

 自分にとっての過去のほとんどは、輝きを放っていたはずだった。だから僕は夜になると自ずと空洞の蓋を開けた。あるいは無意識的に。そこには満天の星空が広がっていて、それはそれとして大事にとっておいた。「暗闇に包まれた場所でしか星は綺麗に見えないのだ」と言い聞かせた。星と星とをはぐれないように繋ぎ合わせ、それらを星座にして名前を付けた。今見えている光は過去に発された光なのだ、と思った。現在と過去は何光年もの距離を隔てていて、掴むことは決して出来ないけれど、過去からの光は時間をかけて届くのだ、と。

/

 しかし、それがいつしか僕を苦しめるようになった。

 星たちはそれぞれで暴走を始めるようになった。赤色巨星と化し、超新星爆発を起こし、いくつかはブラックホールになった。その周囲で時空は歪みを生じ、あらゆる物事の整序がおかしくなった。蓋を開けてはならない、と思った。しかし蓋さえブラックホールに飲まれようとしていた。このままでは自分自身が過去に殺される、やがてブラックホールに落ちる、そう思った。

 ブラックホールに落ちた物体は、落ち続けることしかできないのだ。あの頃僕は夢うつつとしながら、ただひたすら死ぬことばかり考えていた。自分は死ぬことでしかブラックホールを逃れられないのだと言い聞かせた。あるいは言い聞かせられた。エネルギーの源だったはずの記憶の塊が、星座が、ある出来事を境に爆発してエネルギーを奪うようになる。輝きを放っていたはずの過去は、天の川は、光さえ吸収するほど黒ずんでしまう。

/

 生きる源を見失った僕達はエナジードリンクと称して酒を飲み、束の間の快楽に酔いしれてその空洞を埋め、明かりを点けることで星空を消す。喧騒によって孤独を搔き消し、乾いた笑いで湿りを取り、泣いて慰め合うことで解決した気分に浸る。

 だから酔いが醒めるまでは空洞を忘れている。

 しかし放物線に頂点がひとつしか存在しないように、酔いというのはある点まで上昇すると下降を始める。そうしてまた同じ高さに戻ってくる。いや、放物線ではなくサインカーブかもしれない。僕たちはゆらゆら、ゆらゆらと同じことを繰り返す。同じ所を行ったり来たりする。とにかくある点で酔いから醒め、人々は我に返って気が付く。状況は何も変わっていないのだ、と。状況は何も変えられないのだ、と。そんなとき星からは声が降る。 

 

 「もしもし、現実ですか?」

/

「人生って妙なものよね。あるときにはとんでもなく輝かしく絶対に思えたものが、それを得るためには一切を捨ててもいいとまで思えたものが、しばらく時間が経つと、あるいは少し角度を変えて眺めると、驚くほど色褪せて見えることがある。私の目はいったい何を見ていたんだろうと、わけがわからなくなってしまう」

 

 光さえ脱出できないブラックホールは、物理法則下において、それ自体を肉眼で観測することは不可能である。ゆえに僕は、ブラックホールに殺されると感じながら、そのブラックホールが一体何であるのか知覚できなかった。そして、それが以前星だったときに、どのような色や形をしていたのかも知ることができなかった。

 ただ得体の知れない「ブラックホール」と呼ばれる概念が、僕のあらゆるエネルギーを奪っていった。過去は歪み、現実は萎えた。酒を飲んでは吐き、文章を書いては消し、死ぬことについて考えてはやめた。暗黒の泥のように眠り、あるいは眩しい北極星のように起き続けた。

 そしてブラックホールの外側には、いつも陰鬱な問題としてのダークマターが存在していた。逃げ場なんてなかった。そんなとき自分は何者でもなかった。才能ナシ趣味ナシ欲求ナシ慈愛ナシ熱意ナシ、醜い外見と愚かな内面、中途半端なプライド、ブラックホールダークマター、そんな人間が「面倒臭い奴」でないのなら、一体何者であろう?勿論ほんの僅かな人には相談したけれど、それはあまり良い結果をもたらさなかった。「何が辛いの?」と聞かれて「分からない」と答えるしかなかったのだ。「ブラックホール」と言ったところで、僕はどういう答えを期待しようというのだろう。第一、僕が何をどう考えたところで、世界は今日も平和に呑気に回り続ける。

 夢を見ていたのだ。

 そう考えることにした。自分には過去なんて存在していない、それらは全て夢だったのだ、と。あれは星ではない、飛行機や建物の光だったのだ、と。そうすることでブラックホールは勢力を弱め、僕は幾らか救われた。もしかするとそう錯覚しているだけかもしれないが、とにかく思い詰めることからは脱した。そしてようやく文章を書けるほどにまで回復した。結局自分のことは自分でしか救えないのだ。

 何もかもさめてしまったのだ、と思う。つまり僕は夢から覚め、酔いから醒めたのだ。かつて輝いた星の色は褪め、一喜一憂していた心は冷め、そしてようやく空洞に蓋をすることが出来た。覚めて醒めて褪めて冷めて、とにかく自分はもう生きることにも死ぬことにも “さめてしまったのだ”、と言い聞かせた。もう星を探してはいけないのだ、と。今現在の言動が、いつか未来の自分を攻撃してしまうのだ、と。

/

 一日一食の生活は三食に戻り、空は青さを取り戻した。あれだけ生きたい瞬間があり、あれだけ死にたい瞬間があり、それらの感情はどこからやってきてどこへ行ってしまったのか考えていた。次に蓋が開くのはいつだろうと思った。「それでもやはり星たちは無数に存在していて成長を続け、ブラックホールダークマターはどのような手段によっても知覚できず、宇宙は想像の限界を遥かに超えて果てしなく広がり続けるのだ」と感じた。生きることが下手くそなのだ。そんな夜に、カーオディオのSpotifyでボーカルが必死に叫んでいた。

 

太陽が昇るその前に

夜が明ける前に

教えて

ここで このままで 間違ってないと

 

 僕は左手をハンドルから離してボリュームを上げた。10-FEETの曲だった。太陽4号というその曲名について、ボーカルはかつてこう話していた。

「太陽って電池みたいなものなんです。生きていくエネルギー源だけどいつかは切れる。純粋に突っ走った十代があって、二十代になってそれを斜めに捉えてみたり、そりゃ太陽1個でずっと行けたらいいけど、まぁ4号目くらいでようやく何とかなってるんじゃないかなって」

 

 4号目の恒星を探す勇気が、今の僕にはない。ただ歌詞だけは忘れられず、曲が終わってからもしばらく大音量で空洞に木霊していた。何か自分の内に、ほんの少しばかり熱を感じていた。その感覚は、どこか懐かしさを含んでいた。「確かにさめてしまったが、全てがさめてしまった訳ではないのだ」、そう思った。歪んでいたはずの過去は、まだ上手く解釈できないけれど、少しずつ元の形に戻ろうとしている。無理に言葉にする必要はない、目を閉じて待てばいい。信号は赤から青に変わり、同時に僕はアクセルペダルを強く踏み込んだ。車は満天の星空のもとに爽やかな快音を響かせ、滑るように加速しながら、流星のごとく、真っ直ぐに秋の夜を駆け抜けていった。

 

いい加減『ガチ勢』『エンジョイ勢』という不毛な棲み分けをやめませんか?

 最近、人狼ゲームやワードウルフといった議論ゲームをする機会が多く、その中で感じたことをつらつらと書き連ねていこうと思います。といっても、表題の通りですが、ここ最近本当にありがたいことに、色々なコミュニティで色々な方々とプレイをする機会が多くて、その中で『ガチ勢』と『エンジョイ勢』のいがみ合いにたまに接してもやもやすることがあり、いい加減その無意味な議論をやめない?と思ったのでそれについて自分の意見をお話しさせていただきます。

 

 

言葉の定義なしに議論をすることの恐ろしさ

 まず、私がこの議論やいがみ合いに触れるたびに「またか…」と辟易すると同時に、ほとんどの場面で「言葉を定義すること」が欠けているのではないかと感じます。そして、それこそがこの議論を面倒で不毛なものにさせているのではないかと。

 言葉の定義とはめちゃくちゃざっくりいうと、「その言葉が指し示す事象について、その範囲をどこからどこまでか」のことを指しています。そして、こと人狼ゲームの『ガチ・エンジョイ論』の議論するうえで双方が「どういう意図をもってその言葉を使用しているか」を確認しあうことが欠けているんじゃないかと思うことが多いのです。

 そして、私が感じるもやもや感の正体もおそらくここにあると感じました。お互いに「言葉の定義」を確認していないからこそ、相手の意図が分からないまま自分の物差しで話し続け、お互いに話が嚙み合わず不要な口論が生まれ、誰かが傷ついたり、やりづらくなったりしてるんじゃないかなあと思うのです。

 だから、まずは話を聞いていて私が感じる『ガチ勢』『エンジョイ勢』の定義について、プレイスタイル嗜好性の2つの側面から整理してみて、それを元に皆が楽しく遊べるために、どんな心がけをしてゲームをしたらいいかをまとめてみます。

 

プレイスタイルから『ガチ勢』『エンジョイ勢』を考える

 まず、『ガチ勢』『エンジョイ勢』ってそもそも定義のない言葉だと思うので、プレイスタイルと、その背景にある嗜好性をもとに分類しますね。私は人狼ゲームを始めとした一人で完結しないゲーム*1において、プレイスタイルって大きく分けて以下の3つに分けられると思っています。

 

  • Green Player(楽しさ重視)

 このタイプのプレイヤーはめちゃくちゃざっくり言うと、人狼ゲームにおいて「プレイすることそのものに楽しい経験を求めるプレイヤー」のことを指しています。Green Playerに属する人々は「ゲームの勝敗」や「ゲーム内での立ち回り」以上に「ゲーム内での雑談」とか「自分に起きた物事そのもの」を楽しみたいと思っている傾向が高い気がします。(もちろんGreen Playerの中でも「何に楽しみを感じるか」については人それぞれですが)

 ここで、一点勘違いをしないでほしいなと思うのが、このタイプのプレイヤーはその言動に戦術的なリターンにこだわらない傾向は高いものの、メリット/デメリットの判断が甘いとか、勝つ気が全くないとかそういうプレイヤーではないということです。ただただ、シンプルに「勝つこと」よりも「楽しい経験」を重視していて、その結果自分が負けたとしてもその結果にそこまで拘らないというだけなのです。

 いわゆる『エンジョイ勢』や人狼ゲームを始めたての『初心者』といわれる人達はこの傾向が高いんじゃないかなと個人的に思っています。

 

  • Blue Player(斬新さ重視)

 このタイプのプレイヤーは人狼ゲームにおいて、「自己表現や発想力・想像力を重視し、それらを発揮することに喜びを感じるプレイヤー」のことを指しています。そのため、セオリーよりも新しい戦略・戦術や、一見不利だと思われる進行をとり、その中で戦略・戦術をブラッシュアップすることに喜びを感じる「開拓者気質」の高い人達がここに属していると思います。

 この手のプレイヤーは変わった打ち手や戦術を作れる展開や、それについて試行錯誤することを好み、要約するとみんなに「アッと驚かせたい」という欲求が比較的強いプレイヤーが多い印象です。

 注意点として、そのスタイルは個性的なことが多いものの、必ずしも意表をかいたり裏をついているわけでも、悪意を持って仲間を困惑させたいというわけでもないのです。あくまで自分がこれまで開拓してきた打ち手が本当に通用するのか確かめたいといった考えや、その戦術を使用して勝つことで皆を驚かせたいというもので、勝利に自分がどれだけ貢献できるかという欲求が比較的高いプレイヤーだといえるでしょう。

 彼らはどのような空気感、レベル感の村であっても「この打ち手が使えるかな」といった発想でゲームをプレイし、その結果をもとに改善点を分析して、懲りずに新しい手を打ち続けます。

 以上のようにBlue Playerは「斬新さ」を常に追求し、それが自身の楽しみの最重要項目となっている人々です。

 多分私もこれが一番近いかなと思ってます。

 

  • Black Player(結果重視)

 そして、3つ目の分類が人狼ゲームにおいていわゆる『ガチ勢』といわれることが多い結果重視のプレイヤーたちです。ただ、もちろん彼らもそういった側面だけを持つプレイヤーというわけではありません。Black Playerは困難の解決や挑戦、自身の能力の証明、利害に対する強い意識を持っているプレイヤーです。

 より早くより高くより正確にといったプレイングスキルの求められる進行を好み、常に「最適解を突き詰めていくこと」そして、「最適解を実証・再現し続けること」に重きを置いている人達といえます。

 今よりも良いものがあれば他の何よりも重視して取り入れたいと感じ、その択によって発生しうる利害にとても敏感なのです。彼らが常に求めている最終目標はいわゆる「ゲームにおける勝利」であり、途中経過の体験よりも自身の判断や行動・努力によって得られる「勝利という結果」にこそ楽しみを感じます。

 しかし、いわゆるカジュアルなプレイヤーがBlackに位置しないわけではありません。例えば、自身の能力を誇示し最適解に辿り着くことができれば、勝利以外の要素もBlack Playerの楽しみになり得るからです。

 

結論、『ガチ勢』『エンジョイ勢』とはただのカラーの違いにすぎない

 いかがでしょうか?

 今これを読んでいるあなたにもある程度当てはまる部分があるのではないかと思います。何度もいいますが、上記の分類も明確に何か一つが絶対的であるというわけではありません。

 それこそ、一見相反しているように見える「GreenかつBlack」といった2つの要素を持っているプレイヤーだって存在しますし、その日の気分や同村する相手によって何を重視するかが変わることもあります。

 要するに、大切なのは「楽しみ方の種類ってプレイヤーの数だけあることを理解し、一緒に遊んでる人全員が楽しめる進め方が何か互いに考えるという意識」を皆で共有しながら進めることだと思うのです。

 そんなこと言われても「抽象的過ぎてわかんねーよ!」って話だと思うので、ここから『ガチ勢』寄りの人にあるといいなと思う心構えと、『エンジョイ勢』寄りの人が意識したらいいんじゃないかなと思うことについて、お話ししようと思います。

 

『ガチ勢』が『エンジョイ勢』を傷つけないためにはどうしたらいいか

 まずは、『ガチ勢』のあなた。人狼ゲームが大好きなあなたは、人狼ゲームに関しての最適解を理解しています。そして、それは裏を返せば最適ではない解や方法論についても知識があるということですよね?その一方で、『エンジョイ勢』に属する相手は最適解を知らない上に、「最適解を知りたいと思っていない」ことが往々にしてあります。

 ここで大事なのは、あなたがそういった相手があなたと遊ぶ理由は「あなたの知識を自分にも教えてほしい」ではなく「あなたと遊びたいから」であるということを理解することです。

 これは言い換えれば、相手の脳内にある相手の「楽しさ」という花畑を相手の許可なしに、あなたにとっての「楽しさ」=「最適解」という農薬を無理矢理撒くというやり方は全くオススメできないということです。たとえそれがあなたなりの善意だとしてもです。

 あなた自身の嗜好性が『世界に一つだけの花』であるように、それは相手にとっても同様で、なにも「人狼ゲームでNo.1になりたい」わけではなく、「オンリーワンなプレイがしたい」とか「ゲームをもとに会話をして仲良くなれたらそれで良い」とかそれぞれの基準があって、それで満足しているのです。

 もちろん効率的なプレイをしない相手に効率的な方法を理解してほしいという気持ちは私にも十分理解できます。しかし、そういった場合でもあくまで「聞かれたら答える」に留まった方が良いのです。

 そして、意識的なところで言うと、勝利以外のところにあなたの持ち合わせている「目的意識」を向けてあげるとよいでしょう。例えば「初心者の○○さんを助けてあげるプレイをして勝利を味わわせてあげる」や「自分が常日頃から行っているスーパープレイを披露する」などです。そして、『それどうやってるの!?』と聞いてもらうことができるか挑戦するのもまた一興と言えるかもしれません。

 少なくともそういった考えを持つことで、あなたの説明や説得の仕方も変化し、負の感情を抱くことが減りますし、自分の意見を通すというスキルにおいて、より高次のレベルに到達でき、あなたの「最適解」を見つける助けになることもあるかもしれません。

 また、相手はあなたに合わせることができませんが、あなたは人狼ゲームに慣れ親しんでいるので、相手に合わせることができるはずです。そして、あなたが初心者の頃を思い返してみたら、自分にすごく優しく接してくれた上級者の方が必ずいらっしゃったはずです。たまには肩の力を抜いて最適解以外を試してみるのもいい気分転換になるかもしれません。もしかしたら、今あなたの目の前にいる『エンジョイ勢』のお相手も『未来のガチ勢』かもしれせんよ。

 

『エンジョイ勢』が『ガチ勢』と楽しくゲームするために知っておいたほうがいいこと

 『エンジョイ勢』のあなたは多くの場合、『ガチ勢』の人達並みのモチベーションや技術を持ち合わせていないことでしょう。そのため、相手に合わせるということが難しく、申し訳なさや不満を感じて、それがストレスになり「なんだか人狼ゲーム楽しくなくなってきたなぁ」と思う機会もあることでしょう。

 一方で『ガチ勢』の人からすると、「どの程度の実力があるのか」「人狼ゲームのどの部分に楽しさを感じているのか」といった点について、ゲーム中に読み取ることが難しいと感じていることも案外多かったりします。それどころか、どうしたらあなたに楽しんでもらえるか思い悩んでいるということすらあり得るでしょう。

 たとえあなたが『一緒に遊んでいるだけで満足』と思っていたとしても、相手はそれを知らないか、あるいはそれをただの社交辞令だと思ってしまうこともあるでしょう。

 本心が分からないからこそ、相手はとりあえず自分が楽しいと思っている「最適解を押し付ける」プレイをしたり、極端にあなたに合わせにいこうとして、結果あなたを困らせたりしまうといったことが起きていることもあるかもしれません。

 これを回避するために、あなたは普段から人狼ゲームをする上で『嬉しいこと』『嫌なこと』を明確にしておき、実際にあなたが他の人と遊ぶことが決まったら、勇気を出して『嬉しいこと』『嫌なこと』を伝えてみるとよいでしょう。例えば、「なんでも指示されるのは嫌」とか「強い口調で話されると嫌」とか「ゲーム外の雑談をしながら進めるのが好き」とか本当になんでも良いです。

 伝えた相手にはもしかしたら変な人だと思われるかもしれませんが、そもそも自分が楽しくないプレイを押し付けられて、せっかくのゲーム体験を台無しにされて人狼ゲームを楽しめなくなるよりは良いでしょう。それに、善良な『ガチ勢』の人達はあなたの考えに配慮してゲームを進めてくれることでしょう。

 私は別に『ガチ勢』に合わせる必要はないと思いますし、自分のスキルやモチベーションが達していないことに罪悪感を感じる必要はないと思っています。だって、所詮はゲームですし、自分が楽しめるやり方を貫くのが一番だと思うからです。

 自分より詳しくて弁も立つであろう『ガチ勢』に対して自分の考えを言うのが怖いなと思うこともあるでしょう。それは重々承知です。でも、自分が楽しむを最優先して萎縮しないで人狼ゲームを楽しんでほしいなぁと私は思っています。

 

最後に

 人狼ゲームについてつらつらと思いを書かせていただきましたが、ここまで読んでくださった皆さんはどんなカラーのプレイヤーであれ、『ガチ勢』であれ『エンジョイ勢』であれ、それ以前に人狼ゲームを愛する仲間同士である」はずです。

 好きなものが同じ人同士でいがみ合いをしたり、言い争いになってしまう状況が私はすごく悲しいと思っています。

 また、そもそも人狼ゲームって一緒にプレイしてくれる相手がいて初めて楽しめるものですよね。当たり前ですが、まずはそのことをきちんと認識して、相手に感謝の気持ちを忘れないこと相手の楽しみ方を尊重することが『ガチ』とか『エンジョイ』とか『楽しみ重視』『斬新さ重視』『結果重視』とか以前に大切なことだと思っています。

 これを書いている自分も読んでくれた皆さんも、より相手のことを考えてプレイできるようになったら今やってる人狼ゲームがもっと楽しいものになるんじゃないかなぁと思っています。

 私も至らない点は多々ありますが、こんなことを考えながら人狼ゲームをしているので、これからも一緒にプレイしてもらえると嬉しいです!よろしくお願いします!

 

かしこ

 

*1:『一人で完結しないゲーム』とは協力型であれ対戦型であれ、目的達成する上で「他者とのコミュニケーション」を要するゲームのことをこの記事では指しています。

妖精は消えない

 このブログを書き始めて5年くらいが過ぎて、好きな人をいまだに好きなまま11ヶ月が流れようとしている。11ヶ月て。赤ちゃんがそろそろつかまり立ちを始める頃だよ。俺の恋は相変わらずつかまり立ちどころか産声すらあげてない感じなんだけど、それでもまあ、息はしてるし生きてんだろうなっつー感じで適当に育んでいたら、幸か不幸かどんどん背丈だけは大きくなっていってる。

 

 それでも随分ちゃんと健全な片思いが出来るようになった。友達から、仲良い女の子多くてなんだかんだ遊んでるよねみたいなことをチクッと言われたり、らしくないことしてややこしくしちゃった今年の夏の反省もあって、なんとなく異性と遊ぶのをやめてたんだけど、一回もう最後までちゃんと片思いしようっつーことに決めてから、

 

 紹介された女の子と飲みに行ったり、あとはこの週末で、家に篭って漫画ばっか読んでる俺を憐れんだ親友に誘われて京都まで二人でドライブに行ったりとか、まあ特筆すべきなのはその二回くらいなんだけど、そんな感じでちゃんと好きな人以外とも交流を持つようにして、こちらとしても好きな人以外からの応募を随時募集してますよっつー感じで窓口を開けたりなんかしてるんだけど、それでも見事なくらい好きな人のことが揺るぎなく好きなもんだから、自分でも呆れつつでも少しだけ安心したりなんかして。なーんだ、別に禁欲的なことを課さなくても俺は好きな人のことをこんなにもちゃんと好きなまま居れんじゃん、みたいな。

 

 ミヤタもさーすごいのよ。ミヤタが俺に告白してくれて断った時、これからは好きな人とのことちゃんと応援するねつってくれて、別に会ったら普通に接してくるんだけど、ラインとかはほんとに送って来なくてさ、ああ口だけじゃなくってほんとに応援してくれるんだ、みたいな、そういうところって自分も片思いをしてるからほんとすげーなって思うし、花火行った時ももちろん何もなくって、完全に友達としての距離感を保ったまま、なんならそんなに急ぐことないじゃんー、なんて慰めたりまでしてくれて。あれ、ミヤタって俺のこともう好きじゃないのかな、とか一瞬思いながら、でも俺は本当はミヤタが俺のことを今でも大好きなことくらいちゃんと分かっていて、その上で、ああ、今横にいるのが好きな人だったらな、なんてさいてーなことを考えた。

  ほんっと俺ってどうしようもねー。普通こういう時ってさ、そういえばミヤタと居たら不思議なくらい素の自分で居られるんだよな、とか考えながら恋の一つや二つ生まれるもんじゃん。全くそんな気配がない。ミヤタのことを知ってる友達なんかは、もうこれはミヤタだミヤタだつって、ミヤタ良いじゃん可愛いし、みたいな押せ押せムードというか俺にとってはただの、逆風、つー感じなんだけど、好きな人のどこがそんなに良いわけ? みたいな感じにいい加減なってきてて。俺も、いやーそれがよくわかんねーんだけど、的な、たぶん前世でなんかあったんだと思う、好きじゃなかったら絶対好きになってないもんあんなヤツ、なんていじらしい名言も飛び出しちゃったりして、それを聞いた友達はため息、みたいな。もう満足するまで頑張れば良いんじゃない、っつー感じで現在なんだけど。最近、実は好きな人の誕生日がありました。

 

 誕生日って、ほんとにめでてえのな。別に会ったりしたわけじゃないんだけど、とことんめでてえ。なんだろ、これまでだって十分、めでてえめでてえ、つって色んな人の誕生日をやってきたけど、そんな他人事みたいに言えるもんじゃないねこれ。感謝しかない。ただただ感謝が静かに湧いてくる。今俺が正拳突きをしたら、音を置き去りにすると思う。ネテロ会長の言ってた意味がようやく分かった。もうね、思わず、ありがとう、つった。俺が誕生日じゃんありがとうつって、相手はどういたしまして、つってくれた。俺の知ってる誕生日の流れとはずいぶん違うんだけど、そんな些細なことはこの際どうでもいいのよ。なんか誕生日って基本的に祝われてる側は気恥ずかしいもんじゃん。少なくとも俺はそうだったのよ。なんとなくどんな顔してたらいいのかわかんないっつーか、正直あんまりおめでたいって感覚もないし、そもそも自分が何かを成したわけじゃないのにあんなに祝福されてさ。 

 俺、自分が誕生日の時って、急に生きてるだけで祝われたりプレゼントまで貰ったりするノリについてけなくて、え、普段なんか、俺が生きてるだけで嬉しいおめでとうみたいな、そんな感じじゃみんななくない? 的な気まずさと違和感の中で、曖昧な笑みを浮かべてるうちに終わってたイメージだったんだけど、考えたらそりゃそうだ。やっぱり誕生日なんて周りの方が嬉しくてるんるんしてるのが正しかったんよ。おめでたいのは本人よりむしろ周りの方であって、おめでたい奴らにおめでとうなんて言われてたから違和感があったんだ。

 まあそんな感じだから、俺ここ最近すっごく浮かれてて、出会い頭に知らない人とハグして、一緒にバースデーソングを歌いたい気分なの。こないだ好きなやつの誕生日があったんっすよー、つって。最後に好きな人と会ってからそろそろ8ヶ月が経って、髪とかも少しは伸びたのかな、実はあんまり覚えてないんだけどさ、俺はこれまでよりももっとちゃんと好きになってってるわけよ。戦いの中で成長してる。他に好きな人を作ろうとか、もう諦めるかーなんて無意味に考えることもなくなったし、なんだろ、そういうのってたぶん何も良いことない。

 俺、このブログを始めた時に、ネガティブなことは書かないようにしようって決めてたんだけど、思ってもないようなことでも実際に口に出すとやっぱね、何かが死んでくんだと思う。言葉ってそういう力あると思うし。ほら『ティンカーベル』でもさ、妖精なんていない、って子供が言う度に妖精が一人ずつ消えていく、っつー話があったけど、あれってたぶんマジの話じゃん。だから俺は好きな人のことを好きなうちは好きってちゃんと言うし、恋の駆け引きとか気を引くためのテクニックみたいなのも使いたくない。もうお前のこと好きじゃなくなったよ、とかなんとか言って、ティンクが死んじゃったらどうすんのよって感じで。

 なんかちょっと前の日記で、俺以外が理由で彼氏と別れて欲しい、っつーことを書いて、相手にもそう言った手前、俺も好きな人が理由で諦めたりなんてフェアじゃないと思うし、成就するとかしないとか、脈があるとかないとかってことを幕引きの言い訳になんてするつもりもない。諦めるときは俺に別の好きな人ができた時か、好きな人への気持ちが冷めた時だけにしようって、そんな感じでいるんだけど、そんな日って一体いつ来るんだよ、みたいな。

 

 なんか本来、人間の頭の中にはオリンピックみたいにIOC(Intracerebral Oxytocin Committee=脳内愛情ホルモン委員会)っつー組織があって、周りにいる異性は日々、招致活動やロビー活動なんかで魅力をアピールをしてくれてるわけなのよ。私はあなたをユニークにお迎えします。日本語ではそれを一言で表現できます。エ•フ•カ•ッ•プ、Fカップ。みたいなスピーチがあって、するとIOCのメンバーも、リアリー!?!? ブラボー!!!! トウキョー!!!! つって次の恋の開催地を発表して好きな人ができるわけなんだけど。俺の場合は蓋を開けてみると、当初Fカップだと公表されていたザハ案も実はE寄りのDカップだったことが判明したり(新国立競技場問題)、可愛かったはずの顔にもあれはマツエクではないのかという指摘がされたりで(エンブレム盗作問題)、まあ、なんかこれ以上は、まるで俺が特定の誰かを攻撃してるみたいなあれになるからやめとくけど、そんなことがあるのと、前回のリオが良すぎたせいでIOCの士気も下がりっぱなしなんだよね。なんだろ、やっぱこれ前と同じ場所で良いんじゃね? みたいな、そんな雰囲気になってる。委員会自体もここ最近開かれてないし、委員長の家でリオ五輪の映像をメンバー全員で見てるだけ。やっぱこれ最高だわ~当分の間リオでよろ~、的な。

 まあそんなだから、上で書いてるようにちゃんと窓口を開けて形だけの開催国の募集をしていても、なかなかね、委員会が首を縦に振らないもんだから。ミヤタ? うん、とても良いよね。彼女はとても楽しみだよ。うーん、じゃあ開催国を発表するね、ネクストイーズ……リオデジャネイロ!!! つって。もう良いよ。俺はこの馬鹿どもと一緒に沈んでゆくって決めたんだから。新しい風を、とか、保守からの脱却、みたいなの全然いらない。IOCが旧態依然とした態度で自分らはここで死にますって発表したんなら、俺はその方針に従うまで。たとえ、そこに足りないものや多過ぎるものがあるんだとしても、それを含めた全ての要素が俺にとっては完成されていて完璧で、その不完全さが愛おしい。ただ好きな人がちゃんと存在していて、俺がちゃんと好きな人のことを好きなら、いくらでも三点測量することでそこにパラダイムとしての俺の人生の意味みたいなものが鮮やかに浮かび上がる。あー好きだー。大好き。

 あ、そうだ、言うの忘れてた、誕生日おめでとう。生まれてきてくれてありがとう。仲良くなってくれて、こんなにも好きでいさせてくれて、本当にありがとう。あの、うちのオリンピックってIOCが馬鹿だからさ、今回も前回と同じでお前んとこみたいなんだよ。だから聖火を運ぶ必要もないし、ほら、今回はせっかくお前の誕生日だったんだしさ、俺が聖火台に火を灯すから、みんなでバースデーソングを歌うみたいなやつやらない? 隣のやつらとハグでもし合ってさ。俺、今、そんな気分なんだよね。

ダウトフォーマルハウト

 ラジオからフジファブリックの「Bye Bye」が流れてきて、もうなんだ、暴力的に、ブログを書かなければならないという気持ちにさせられた。深夜。いやー八月になったね。ちゃんと今月も判で押したように好きなまま。もはや金太郎飴。朝起きてから夜寝る瞬間まで、俺を構成するものをどの場所で切り取っても同じ切り口のまま好き。怖い話も面白かった話も悲しい話も、俺、今すげえ好きな人が居んだけど、つーとこから始まる。

 こんな状況を知ってる友達や同僚なんかは、告白して振られたら案外吹っ切れられるよ、とか、他の女と寝たらすぐ忘れるっしょ、みたいな言葉を掛けてくれんだけど、あーごめん、そういうんじゃねーんだ、今回。普通じゃねーの。告って、振られて、新しい恋、みたいな話じゃなくってさ。別の女と寝て、忘れて、新しい恋、みたいなイージーモードじゃないのよ。

 いや、やってみなきゃわかんないじゃんつーか、あの、俺さ、それ全部やらかしてんだよね。その、告って、振られて、とか、他の女と寝て、みたいなの一通りやった上で、ドッタンバッタン大騒ぎしながら今日も大好きだって仁王立ちしてるわけ。こんなの本来、相手に彼氏ができた時点で終わった話だったんだけど、死してなお、その体屈することなく――頭部半分を失うも、好きで居続ける その姿まさに"怪物" この片思いによって受けた心傷 実に――二百六十と七太刀――告白をあしらわれた回数 百と五十二回――結婚を申し込んだ数 四十と六回――――さりとて――その誇り高き後ろ姿には…… あるいはその片思いに 一切の"脈"なし!!! みたいな感じで死に際が言い伝えられてる。今日まで名を残し続けてるだけの状態。名っつーか未練なんだけど。

 たしかにこの状況で、付き合いたいとか呑気なことを考えることは流石になくなった。肉眼ですら見えないような六等星以下の望みに手が届くかもなんて思えるほど、おめでたくもないし楽天的でもない。けど、この戦争を終わらせにきた、とか言いながらミヤタっつー名の四皇が堂々と戦場に乗り込んできて、トチ狂った俺が自分の手でミヤタを刺し殺しちゃった瞬間から、この戦いに終わりなんてなくなったのよ。

 つい先日も、好きな人から直々に、最近(私のこと好きなの)落ち着いてきてない?って訊かれて、あーそれは好き好き言うのをやめたからじゃない?つったら、なるほどーそれでかーって納得してくれた、みたいなハートフルエピソードがあったんだけどさ。気心知れた友達かよっつー話じゃん。お前は当事者だよ。好き好き言ってんのは、惚気とか相談じゃなくって、告白でありアプローチなの。もっかい初めから話そっか?大丈夫?こんなさ、頭のおかしい無防備な人を放って他に好きな人とか作れる?んなことするくらいなら、大丈夫大丈夫ちゃんと好きだよ、つって、最後はいっそ、馬鹿な息子をそれでも愛そう、って言いながら刺されたい。せめて、お前の手で、つー感じで。

 いや別に脈がないからって落ち込んだり悲しくなったりみたいなことって、この通り、自分でも不思議なほどなくって。つーか多分落ち込めなくなってる自分がいる。悲しくなれないくらい、もう、好きな人のことが好きで、同時にそれを諦めてる。

  あえて不満を挙げるなら、俺のことを放って遠くになんか行っちゃうもんだから、それまで好きな人と遊んでた分の時間が丸々手持ち無沙汰になったってことくらい。俺らって、毎日一緒にいて、そんでもって三日に一回くらいのペースで遊んだり飲んだりしてたから、それと同じくらいの頻度でどうしようもなく隙間ができちゃって、別にそれは別の人と会ったり趣味に当てたりでいくらでも埋めようはあるんだけど、なんとなくそれも違うような気がして、ならそんな時は何すんのっつーことで、こんな無益なブログを書いてるわけです。

/

 深夜の、この誰の気配もない時間帯って、俺がもっとも研ぎ澄まされて爽やかになってる時で、そんな時に思いつくまま文章なんかを書いてると言葉と感覚がどんどん犀利になって、書きたいことが次から次へと溢れてきて、あれもこれも書き留めなければって気持ちになる。きゅるるるるると頭の中で音が鳴って脳みそが熱を持つ頃には、言葉にドライブ感みたいなものが生まれ始めて、その速度の中でだけ、これまで漠然としてた自意識が像を結び始める。だから俺は、なおさら言葉を尽くすことで、その自意識の解像度をあげようとする。

 その過程は俺に、まるで自分一人でも生きていけるような万能感に似た慰みを与えてくれるんだけど、けどそこにはもう好きな人なんて存在していなくて、結局、好きな人が存在しないという前提に立っただけの、まやかしの力だったりする。なんか難しい話になってきちゃったけど、ことは単純で、つまりはどんどん独りよがりになってくっつー。そういうのって付き合っててもあるじゃん。考えすぎるせいで束縛しちゃったり、逆に気を遣いすぎて何も言えなくなったり、そういう相手が不在の身勝手さって。

 それと同じで、画面に溢れ見えてく好きな人への思いとは裏腹に、どんどん独りっきりになってって、自分の中から失いたくなさみたいな気持ちが薄れてゆく。好きな人が現実のどこにいようと何をしてようと、こんなにもちゃんと好きなままいられんなら少しも問題じゃねーよ、みたいな感じで。好きな人の一挙手一投足に拘って、一つの瞬間のことを擦り切れるくらいこねくり回して考える度、空気抵抗が無い場所で人を思うように、小さな力でいくらでも滑っていって、本当の好きな人からは遠のいてゆく。好きな人が不在のまま、俺の思いだけが膨んで先走って、ふと我に返って振り向くと随分遠くに好きな人が居るような。

 だからさ、これは別に今病んでるとかそんなんじゃないし、むしろ俺がこれまでに書いてきた好きな人に関することって全部、惚気てるくらいの感覚で書いてるんだけど。

 今、午前2時24分で、あと数時間後には起きなきゃなんないんだけど、すっげえ好きな人に会いてー。なあ、お前今、何してんの?ちゃんと眠れてんの?クーラーつけてちゃんと布団被ってる?同棲解消して引っ越した初日にさ、まだまだ部屋も寒くって、お前がエアコンのリモコンがないっつって電話かけてきてさ、部屋中ひっくり返しながら、死んじゃう死んじゃうってどんどん元気がなくなってく様を何時間も笑いながら聞いてたからさ、またリモコン失くしちゃってないかとかちょっと心配なのよ。ちゃんと飯食ってる?普段何して生きてんの?ただでさえ貧血気味なのによく転んだり指を切ったりして、いつもどっかから血を流しながら現れるからさ、そういうとこはちょっとじゃなくてかなり心配してる。

 だから一回直接顔を見てさ、許してくれんなら、ちょっとだけ強めに抱き締めたい。あ、いや、これは心配とか全然関係のない、俺の個人的な願望なんだけど。ダメかな?二秒くらいで離れる予定だけど。好きな人の体温を確かめて、ちゃんと好きな人が生きてんだなってことさえ分かれば、一瞬にして疑いようもなく一直線にまた好きな人のすぐ隣まで戻ってこれる。俺が今どこに居て、好きな人が何をしてても、宇宙を丸ごと分割出来ちゃうような一本線でもって、最短距離で好きで居続けられる。

 最近落ち着いてきたのかな、なんてお前が思ってる間に、俺は何千何万つー文字を重ねて、そこから選りすぐった二文字だけを連れて今日もこっちで生活とかしてるわけ。それをわざわざお前に見せない日もあるってだけ。大丈夫。俺もがんばるから、お前もがんばれ。

 たとえお前が六等星以下のどこにあんのかもわかんねー星だとしても、俺は南の方でぽつんと一人、ちゃんとアピールし続ける。俺はそんな風に、宇宙規模で好きな人のことを全うする。人間規模でならただの馬鹿なんだけど。