桃色の憂鬱

文を書く練習

その日

 

僕達は「その日」に向かって生きている。

 

 

どんな生き方をしたって、今がどんなに良くたって「その日」はやがてやってくる。いつでも、誰にでも。終わりと、別れの日。

 

 

もう何をしたって、どれだけ想いを吐露したって、逃れることのできない別れの日。

 

 

僕達にとって「その日」は12月18日に決まった。

 

 

決まってから今日まで考えていたことがある。

その瞬間を刹那まで知ることなく「その日」を迎えるのと、「その日」が決まっていて、避けられないことを知りながらひたすら「その日」を待ち続けるのとどちらの方が辛いのだろうか。そのどちらかを選ぶしかないとしたら、どちらの方が良いのだろうか。

 

前者は唐突に打ち寄せてくる喪失感と痛みのインパクトに苦しめられることとなり、後者は金輪際どうすることのできない無力感に苛まれることとなる。

 

きっと考えることに意味はないし、そもそも辛さを客体して比較することだって意味がないのだろう。地獄がひとつってことはなくて、もうひとつの別の種類の地獄もあるというそれだけのことだ。

 

結局、こうなった以上もう間も無く訪れる「その日」のために今日を生きることしか僕にできることはない。遅くとも今から積み上げられるものだってあってもいいはずだ。

 

 

***

 

この頃、随分と急激に寒くなったように感じる。高くなってきた電気代や、頬を触れる風の冷たさが冬の到来を告げている。二軒隣の家ではイルミネーションの装飾がされた。街ではクリスマスソングが流れているのだろうか。この白い部屋の中からはまったく聞こえない。

 

思い返すと、新型コロナウイルスに季節を奪われた二年間だった。春の記憶も夏の思い出も、秋の感触も正直あまりない。彼女との思い出の多くはこの家で育んだものだった、と感じる。だからこそここを離れる寂しさも一入だ。

 

2020年の8月1日、初めてこの家に入居した日はまさかこんなにも感慨深い場所になることを想像していなかった。どちらかと言えば、早く広い家に住みたい、3LDKに住んで趣味の部屋を作りたい、なんて話していた。僕はこの家での日常をなおざりにし、素知らぬ顔をしながらいつの間にか通り過ぎてしまっていた。心の奥底でこんなにも大切にしていたなんて思いもしなかった。

 

新型コロナウイルスの蔓延に、緊急事態宣言の発令など、この家で過ごした日々はいつもとは少し形が違っていて、だからこそずっと変わらないままで僕の側にあったこの家は余計に居心地がよかったのだろう。彼女と、この家のおかげで良い日々だった。

 

 

もし、できることなら「その日」はせめて入居した日のように晴れやかな透き通った日であってほしいと思う。いつものように、朝ネスプレッソを淹れて少し二人で談笑した後で彼女と、この家と、この家で育んだ思い出の全てとお別れをしたい。

 

そして、清々しく「その日」を迎えるために、

 

この家を入居した日と同じくらい綺麗にしよう。

彼女の門出を精一杯サポートしよう。

僕が今できることを全てしよう。

 

それがこの家と、この家での日々に対してできる唯一にして最大限の感謝の表明になるはずだ。

 

そうして、新たなスタートラインに立とう。そんなに立派な線ではないし、履き潰した靴の踵で土のグラウンドに引いた、自分にしか分からないようなぐにゃぐにゃのスタートラインの上を、号砲もスターティングブロックもないこの質素な線の上を、跨いで、旅立つのだ。

 

静かに懸命に一歩一歩、前へ前へと踏み出し、ぬかるんだ地面を全身の重みで踏みしめ歩いていこう。いつか雨が止み、空の青さと透き通った風を感じられる場所を見つけて、そこでもう一度彼女と向き合えたら、この家に置いてきた思い出の数々をもう一度拾い上げられたらいいと思う。

 

 

***

 

最近ようやく「その日」を迎える覚悟をしよう、と思えてきた。というか、そうした方が良いと思うし、そうしなければいけないとも思う。

 

「その日」を迎える覚悟をする。

 

それがこの数日間の僕の答えであり、今後に向けての準備であり、決意だ。

 

だから、

 

「その日」まで、彼女とたくさん話そう

 

「その日」まで、彼女とたくさん笑おう

 

「その日」まで、想いを言葉にして伝えよう

 

「その日」まで、後悔のない生活をしよう

 

 

「その日」を迎えたそのとき、

未練はあれど後悔はないと言えるように

胸を張って生きていくことを、

ここに、宣誓します。