稚拙

けっこう真面目です

さよならに託す

さよなら

たった4文字。でもなんか強すぎるんですよね、強すぎるって表現が適切でなかったらエモすぎる。僕が言いたい強くてエモい言葉ってどういうことかっていうと、何かを託したくなるような或いはもう既に何かを託しているようなそんな言葉のことです。

「さよなら」の他にも「桜」とか「夏休み」とか「青春」とか「夜空」とか色々ありますけど。

こういう何かを託す系の言葉って、出しとけばなんとなく文章が整うというか情景が実感を持って浮かぶというかそんなわけで感傷に浸りたいときに頻繁に使わせてもらってるわけですが。この「さよなら」って言葉。ある文章でそれはたった一回の「さよなら」なんですけど、受け手にとってはそうじゃない。受け手は自分が経験した何万回もの「さよなら」を勝手に自分に落として解釈してくれる。いや、過去の自分の経験に依ってなくても別にいいんですね。それは小説とか漫画とか映画とかアニメとかドラマとか音楽とか色々あるけど、多種多様のこれまで摂取してきた物語の中の「さよなら」を勝手にリンクさせてくれる。

だからたった四文字の「さよなら」もなんか深みを帯びてくるわけです。エモい。

同じ四文字でも例えばこれが「おっぱい」とかだったらぶち壊しなわけですね。いや、もちろんたった一回のおっぱいも自分の過去の物語と接続可能なわけですが、どう考えても「おっぱい」よりも「さよなら」に託したいじゃないですか。なんで「おっぱい」なんかに託さなきゃいけないんでしょうか。っていう論理破綻。でも、認めませんよ僕は。絶対に。

他に理由を探してみましょう。そういえば、「夏休み」も「桜」も「青春」も「夜空」も全部なんか切ないですよね。もちろん「さよなら」も。切ないからこそ自分のこれまでの物語と接続させて言葉の強度を高めたくなるんでしょうね。完全に自己陶酔ですね。キモいですね。そうです。誰しもキモいものです。

でも「おっぱい」は切なくないですもんね。もちろん、切ないおっぱいがあってもいいし切なくないさよならがあってもいいんですけど。でも切なくないさよならってもう既に矛盾してません?切ないおっぱいはなんかそういう表現のリアリティがある感じですよね。初めて触ったおっぱいとかそういうことになるのかな。

あ、今気づきましたけど、この「初めて」っていうのも強いしエモいですね。しかも、この託し方は特別ですよね。だって「初めて」って本当に実生活の中でも一度きりの行為ですからね。「初めての○○」ってまあ言葉の定義からしてそうなんですけど、本当に人生で一回きりですからね。○○に何を挿れるかは皆さんの想像にお任せしますが。

何の話でしたっけ。おっぱいの話でしたね。おっぱいって時に悲しいですよね。時に悲しいだけで常に悲しいわけじゃないですけど。でもやっぱり、さよならはいつだって悲しいですね。「悲しくないさよなら」もそれって強がりを強調するレトリックですし、字面のまま悲しくないわけじゃないですからね。悲しくないならさよならじゃないですからね。そういう悲しくて切なくて強くてエモい言葉に人間は何かを託したくなるんでしょうね。なんかまとめっぽく言ってみたけど全然まとまってないですね。でも、人生ってそういうもんです。たいていの事象は堂々巡ってる間に終わってしまってるもんです。たぶん。さよなら。