稚拙

けっこう真面目です

自慰行為とツイッター。

「君のツイートは自慰行為だ」という言葉を目にしたことが何度かあります。

「君のツイートは自己満足で見る人の心象を全く意識してないよね」とかそのくらいの意味なんだろうけど、やや大袈裟に言うために「自慰行為」なんて表現を使うものです。まぁ、基本的に他人を攻撃するときに使う表現ですね。

よく「神は死んだ」とか「文学は死んだ」とか言いますが、この「死んだ」というものと似たような比喩表現だと思ってます。

「君のツイートは自慰行為だ」というのは、「自慰行為を見せるのは恥ずかしい」という前提のもとで使われていると感じます。これを言われたら僕はめちゃくちゃ怒ると思います。だって、僕は自慰行為を他人に見せたい人間ではないから。

でも、よく考えてみると「自慰行為」と「ツイッター」(あるいは「SNS」)はどこまでも果てしなく似てるのではないかと思いました。

というわけで、「自慰行為」と「ツイッター」について書いてみようと思います。

 

自慰行為もツイートをすることも快感である

「自慰行為」に快感が生じることは書かずともご存知のことでしょう。

「ツイートすること」にしてもやはり基本的には自己満足に端を発している人が多いと考えています。ツイート内容を考えているとき、そして投稿した瞬間、いいねやRTが付くかどうかを眺めている瞬間って楽しいですからね。

この前提が崩れてしまうと怖いのですが、少なくとも僕は「ツイートすること」に快感を覚えています。

 

基本的に「自慰行為」は他人に見せない

快感を伴う行動において、自己満足はほぼほぼ必須な条件ですし、それらは全て自慰行為と言われても仕方がないと思っているので、考えなければならないことは「いかにして自慰行為的なツイートをやめるか」ではなく、「いかにしてツイートを価値のある自慰行為へと押し上げるか」ではないかと思います。

 

(もう既に論点が変わっているような感じがしますが、続けます。)

 

まず前提として、僕は他人に自慰行為を見せることはしません。なぜならそれが恥ずかしい行為だと知っているし、また、僕の自慰行為を見せたところで誰も喜ばないし、むしろ受け手に不快感を与えるだけだろうと自覚しているからです。

 

「自慰行為」を他人に見せる人たち

 しかし、世の中にはネット上で自慰行為を配信している人たちがいます。いわゆるライブチャットという場所ですね。

そこでは、日夜自慰行為が配信され続けているし、また見ている人たちもたくさんいる。

 

女の子の自慰行為だから見るのだという意見は当然あがると思いますが、例えばお腹がぶよぶよの女性の自慰行為はあまり見たくない。(中にはそういうのが好きな人もいるかもしれませんが)

逆に筋骨隆々な男性の自慰行為なら女性は見たいと思うかもしれない。少なくとも全身骨と皮の僕の自慰行為よりはマシなはずです。

 

このように、自慰行為そのものに価値が生まれることは存分にあり得るわけです。

 

「ツイートをする」も「自慰行為」も恥ずかしい

僕個人の意見ですが、ツイートをするって結構恥ずかしい行為であると思っています。

自分のツイートを他者に見せるという行為は、自分の価値観やある種の性癖といったものを、他人に見せる行為に限りなく近いと思っているからです。特により多くの人間の関心を集めることを狙ったツイートの場合、それは「感傷の吐露」や「適度に誇張を含んだ自己表現」が重要になってくるわけですし、これを見せるというのが結構恥ずかしいことだと考えています。

 

ネットであるからこそ見せられるということ

例えば、サッカーをしてるのだとしたら、友達あるいは初対面の人に「僕はサッカーをしているんだ」と言うことができますが、自分がツイートするようなことを自ら進んで実際に発言する人はなかなかいません。(まあこれは単にそんなこと言っても場が凍るだけだと推測できるからというのもありますが)

でも、ツイート上では平気で発言できる。それはネットだと相手の顔が分からないし、自分の顔も分からないから。

また、仮にお互いの顔を分かっているとしてもツイッターというある種のアバターを介することで、現実世界の自己やそれを巡る人間関係と、発言との結びつきが弱くなる。このため現実では話す関係でもミュートをしたり、或いはブロックしたり、好き勝手言えてしまうということになるわけです。(やや話が逸れた気はしますが。)

この点については、ライブチャットも同じですよね。相手の顔も自分の顔も分からないから、自慰行為を見せることができる。

また、評論家たちは実際に顔を出して自分の意見を言うことでお金を貰っていますし、自慰行為・或いは「本番行為」を見せるセクシー女優もまた顔を出すことによってお金を貰っている、ということを考えるとやはり似ている気がします。(ただ、この辺を厳密に考えると当然「自慰行為」の方が「意見発信」よりも恥ずかしいのかなとは思います。) 

 

「自慰行為」に価値を

では、「自慰行為」に価値を持たせるにはどうしたらよいのでしょうか。

これにはもちろん先天的なものも関係してきます。顔が可愛くてスタイルの良い人の自慰行為は、何もしなくても価値が生まれる。むしろ何もしない方が価値があるくらいかもしれません。

ツイートに当てはめてみると、自分の写真を載せるだけで価値が生まれるということになるのでしょうか。別に特別なことは考えず、特別なことも言わず、ただ自分を写して載せるだけで、誰かの心に快感を与えることができてしまうわけです。

 

でも、世の中はそういう人ばかりではありません。努力をして自慰行為に価値を持たせている人もいる。髪型や下着に気を使ったり、自分を写すときに「盛れる」角度や光を追求したり、コスプレをしたり、放送限度ギリギリのことをしたり、などなど。工夫は色々とあるでしょう。

これと同じくツイートにも色々なやり方があって、単なる「自慰行為」をいかに価値あるものにするか、というのが勝負になるわけです。

誰にも見せないのなら、勝手に自慰行為をしていても誰にも文句は言われません。ただ、さっきも触れたように見られたらとても恥ずかしいです。

しかし、中には自尊心を満たすために数人でも良いから自分の考えを知ってほしいという願望を抱くようになる人もいます。だから、上でも触れたようにネット上で、ツイッターで公開という道をとるわけです。

「自慰行為」でも「ツイートをする」でも、ネットに公開してみれば何らかの方法で数人の目には触れますし、もしかしたらコメントを残してくれる人だっているかもしれません。

さらに、それだけでは飽き足らずもっとたくさんの人に来てもらって自尊心を満たそうと思ったら、その「自慰行為」にはさらなる付加価値がなくてはならないでしょう。

 

まとめ

というわけで僕が考える「自慰行為」と「ツイッター」の共通点は以下になります。

 

・その行為自体が快感である

・自尊心や承認欲求を満たすために公開することがある(主にネット上で)

・より自尊心・承認欲求を満たすためには価値を付随させる必要がある

 

とりとめなくなりましたが、以上です。

書いているうちにツイッターと自慰行為って似てるなと感じるようになってしまいました。

ただ、当たり前ですが、「自慰行為」と「ツイッター」は全く違う行為です。似ている部分を意図的に幾らか抽出しただけであって、違うところを指摘しようと思えばいくらでもあると思います。だから、恥ずかしがらずにバンバンツイートしてっていいと思いますよ。

不倫相手やめるよ

 と、女友達から電話がきた。

そうなんだ。と淡々と話を聞く。別に僕には関係ないし。電話口の向こう側の声が妙にカラッとしたものだったから、空元気なのかもしれないとは思ったけど、それでも誰かが何かをやめると他人に言うときは意志の強いもので、言われた方は「そっか」くらいで肩をたたくくらいでいい気がする。

ただ、正直拍子抜けではあった。

だって別に不倫相手と仲が悪くなったわけでも、何かこじれたわけでもなくって、彼女の中で「不倫」に対して葛藤が生まれたわけでもなさそうだったから。戸惑った、というか今更どうしてということがあった。

僕が不倫をできないのは、寂しがりだから(多分きっとそう)だけど、不倫をしている人の実態を聞くのは別に嫌いじゃない。

彼女からもやっぱりずっと不倫ってどういう感じなのか聞いていて(その上でしたいとはこれっぽっちも思わないけど)

メッセージを特別な名前にしたりして、パッと見で周りから誰か分からないようにしたり、電話しても着信を消したりする。

なんだか自分との関係が積もっていかない感じがするね、とほんの少しの哀しみを込めて言ってみたけど、いや、別に。と返ってくる。

さっぱりとした性格。だからこそ不倫みたいな止むまでの一瞬の雨宿り、曲がるはずのなかった曲がり角をちょっと曲がってみるみたいな関係が性に合ってるのかなとか思った。

そういえば、「去る者追わず」は主義として持ってるとかなんとか言ってたし。

彼女は大学生で、相手はパーティーで知り合った会社勤めの妻帯者で、別に彼女から連絡することはほとんどなく、彼から会いたいと2、3日前くらいに連絡が来る。

料理は嫌いじゃないし得意なほうだけど、泊まるとき以外は別に作ったりとかしない。だって彼が家に帰るとご飯が作られているから。

なんとなく彼が家に来て、なんとなくテレビのスイッチを入れて、なんとなく仕事や学校のことなんかを喋って、なんとなくセックスしてちょっと横になっておもむろに起きて、彼は家に帰る。

匂いがうつるといけないから、芳香剤や香水の類は一切家に置かないし、別れ際にタバコを一本吸って匂いを誤魔化して家に帰る。

彼が帰ってからはまたテレビをつけて、スマホを開いてLINEとかTwitterとかして、お腹が空いたら料理をして寝る。

だから、彼が来たからといってなにも特別なことはないし、生活リズムだって崩れないんだと。

僕には耐えられないなぁと言うと、君みたいな寂しがりには無理だよって笑われた。

不倫相手の人の話を聞くと、「プロ意識」みたいな言葉が思い浮かんでくる。人を受け入れるために何か特別な訓練をしたんじゃないかという人が多い。

それでもきっとどこかで寂しがったりするのかなとは思うけど。でも、それももしかしたら話を聞くこっちが勝手に寂しがっていてほしいと思っていたいだけで、本当に寂しくないのかもしれない。僕には分からない。

けれど、そんな彼女が不倫相手をやめると言った。だから余計に僕はうろたえた。

なんで、と聞くと「一言で表すと安定感」とかなんとも彼女らしい淡々とした返事が返ってくる。

不倫をしてるときはさ、自分も一人暮らしで誰かが自分のところにやってきてそしてどっかに出かけてとかそういうのが大して苦じゃなかった。私だってどこかに行くし。別にお互いひとつに収まらなくたっていいじゃない。けど、実家に帰ってみてね、ふと安定感っていいなーって思ったの。

なるほど。おおよそ理解はできないけど、確かにどこへでも行ける気楽さは悪くないのかもしれない。想像はついた。

 

その上で僕にはやっぱり無理だなぁと思いました。