桃色の憂鬱

文を書く練習

エンドロール

 ここ二週間くらいブログ書いてないしそろそろ更新するかーつって自分のブログを開いてみると、最終更新日が三十二日前って表示されててそのままブログを閉じた。それから二、三日後かな、ひょっとすると四日くらいは経ってたかもしんないけど、ま、それくらいのタイミングでおそるおそるブログを開いてみると、今度は五十日前って表示されて、思わず、ダウト、つった。

 無理があり過ぎ。さすがに俺でも計算が合わないことくらいわかる。いや、だって、ふざけてんじゃん、五十日間もあれば人って二十記事くらいは書いてるっしょ普通、それともあれか、知らねーうちに五十日の定義が変わったのか?あん?つって、爆笑しながらGoogleで「五十日間」って調べたら杉原千畝を紹介してる「命のビザ−運命の50日間」っつーサイトが出てきて、そこに「杉原が50日間で助けたユダヤ人は6000人とも8000人とも言われている。」みたいなこと書いてて途端にしゅんとした。

 いや、俺は別に外交官じゃないし数千人の難民を救えてなくても別に良いし、それが当たり前なんだけどさ、それでもなんつーかさすがに密度が違い過ぎるっていうか、ほら、たとえば杉原千畝がブログをやってたとしてさ、五十日間くらい更新が止まって、元気してんのかなー千畝っちのやつ、とか思ってた矢先に、やっと「千畝のリトアニアDays」が更新されて、そこで「皆さんお久し振りです。杉原千畝です。まずは五十日間もブログを更新できなかったこと、お許しください。ユダヤ人を6000人から8000人くらい救っていてブログ書く時間がありませんでした」とか書いてたらさ、いやそりゃそうだよ、みたいな。なんか偉大さの規模感が正確に捉えられないからあれだけど、たぶんブログとか書く時間は普通になかっただろうな、みたいな感じになるじゃん。気軽に「お疲れ様でした」とかコメントできないし。

 なんかそんなの読んでたら五十日間ブログを更新しなかったあとの記事って、ひょっとしてそれくらいの規模の出来事が求められるんじゃねのーかって気持ちになってきて、それからどうしよどうしよって思ってたら今日でちょうど二ヶ月経っちゃった。なにこれ? もしもーしタイムパトロールさーん? えっと、もう、この二ヶ月間をありのまま書いていい?

 んと、俺、前回の記事でたしか入院してるばあちゃんの見舞いに行きましたっつー話を書いたと思うんだけど、あれから二ヶ月間の進捗だよね。えっと、ばあちゃんの話に限って言えば、無事退院してまあステージ4なのは変わらないんだけど、一応元気に生きてます。来月どっかで休み取って顔出しに行こうかなーって感じ。

 それ以外はなんだろうって、まあ結構色々あって、転職して社会人を再開したり、スマホを替えたり、友達が入院したり、彼女ができたり、好きだった人が結婚したり、こうやって列記してみると時日に見合っただけの出来事はちゃんとあって、人は変わらずにはいられないんだ、な、みたいな、俺らって変わりたくないとどれだけ願っても変わらずにはえ、なに?うん。あー。オーケーオーケー。彼女ね。彼女ができた話ね。わかってるわかってる。無理だとは思った。あがき、みたいな。こんな感じでさらっと流してみたらひょっとすると、みたいな、いやー、なんつーか、彼女ができたくだりに関してはめちゃくちゃ突っ込まれそうだから、さらっと良い風の話の中でまとめあげて終わらせたかったんだけど、えーっと、さすがに無理?

 まあなんだろ。そういうことです。彼女つっても、女性の三人称ではなくって、恋人な方がちゃんとできました。わかります? 恋人の意味。相手はこのブログにも何度か出てきてた人で、ほら、舌の根も乾かぬうちに、みたいな感じでお叱りを受けそうなんだけど、まあブログに関してはさ、どれだけ応援してくれていた人たちに怒られても、こう、ね、沈黙は金って感じで、いわゆる黙殺、もとよりこういうブログだったんスけど、っつー感じの佇まいでブログを更新し続けるから何も問題はないんだけど、ほら、やっぱさ、友達に報告するのが。すげーなんつーか、憂鬱じゃないけど、気まずいというか、ね、わかんじゃん。俺ってあんま自分の話を本音でしないからさ、今まで元カノのこと好き好き言ってたくせに、みたいな、じゃん。そんで元カノ結婚してんじゃん。なんか空気で感じるわけ。お前のこと慰めてやろうみたいなさ。そんな矢先、じゃん。だからまあドキドキしながら、俺、彼女できたわ、つって、それからトーク画面を開いたり閉じたりそわそわしながら待ってたらすぐ返事が返ってきて、いつか言うと思った、って言われて。さすがに笑った。

 えー、まじかー、いつか言うと思ってたのかよー。だってなんかお前最近ずっと楽しそうだったじゃんって。へえ俺ってそんな感じだったんだ、まあ結果的に正しいのはそっちだったわけだし、そんなもんかー、とも思い直して、だとしたら俺自身もこんな展開は予想してなかったんだけど。

 でもね、本当に俺がまた誰かと付き合うなんて一切想像できなかった。実際さ、「あの人の残像と過ごす若くして始まる老後」とか意味分からんポエミーなこと言ったりしてたし、「あいつは家族みたいなものだったから、それが欠けた喪失感は埋められない」だの、「恋人が最終的に行き着く先がそこだとしたら、もう二度とあんな喪失感は味わいたくないから、彼女なんかいらねぇ」だのずっと息巻いてたわけで。

 だからなんか今すごく変な感じがする。正直なところ、何か劇的に変わったことがあるわけじゃないからあんまり実感がなくて、でもその「歯ブラシ立ておそろいの買ったー!」って連絡が来たりとか、ちょっと電話したら元気づけられたりとか、なんか自然と家に遊びに行けたりとか、違和感なく同じベッドで横になったりとか。そういうひとつひとつにふと、めちゃくちゃ嬉しくなったりして、あぁ俺今好きな人と付き合ってるんだって感じる。それこそ彼女がいないまま元カノの結婚なんか知った暁には俺って本当想像するのも怖いくらい落ち込んでたと思うから、そういう意味でももう一度ちゃんと人のことを好きになれて本当に良かった。

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 ちょっとだいぶキモくなってきたからこの話はこの辺にしといて、ここからが当ブログとしての問題なんだけど、先ほども言った通り、俺ってずっともう元カノの残像を抱きしめて朽ち果てると思ってたからさ、全く先のことなんか考えてなくて、そのせいで生じた根本的な欠陥に向き合うしかなくなったわけ。

 何かって言うとさ、その、記事のカテゴリ分けってあるじゃん。みんなはあんまそんな気にしてないと思うんだけど、これって俺にとってかなり大きな問題で、今までは「好きな人について」「好きな人じゃないことについて」「創作」って分類してたんだけど、これがすげービミョーなことになってきてる。当然元カノに関しての記事はこれまで「好きな人について」なんだけど、この分類法だと彼女に関しての記事は「好きな人じゃないことについて」になってくるんだよね。

 これさ、さすがに意味不明じゃない?でもなんか今までのカテゴリの名前を変更して、たとえば「元好きな人について」「彼女について」みたいなのは本当に最悪じゃん。特にその変更について何も触れずに変えたことがみんなに露見すると、それはもう、もちろん黙殺するんだけど、終(つい)ってことになる。だからって「好きな人について」で今後彼女の話を書いて、元カノのことを「好きな人じゃないことについて」とかにするとわけわかんなくなるし、何より途中からこのブログを読み始めた人から、ここの管理人マジの馬鹿じゃん、と思われかねない。以前あれだけ悩んで、神の一手と思って打った一手がまさかのトン死。あの分岐からはどうやら死筋しかなかった。

 もうこれは戦後の歴史に倣って墨塗りにするしかないのかもしれない。「好きな人」という文字列を検閲で全て■■■■と表記し直して、カテゴリも「■■■■について」「■■■■じゃないことについて」に変えて、たとえば過去の記事の内容も「■■■■ってほんとにすごくって。世界が見違えるようになるし、■■■■のためなら俺なんだってできちゃうよ」みたいな感じで。ディストピアの完成である。

 ただこれは諸刃の剣。全ての問題が解決されるかわりに、公権力から目をつけられる。だって完全に違法なクスリをやってる人の感想ブログだし。「今日は知り合いのイラン人から■■■■の話を聞いてすっげーテンションあがった!」みたいなブログを何気なく書いたら最後、「落としのプロ」「拷問龍バイオレンスドラゴン」と署内から恐れられる暴田(ぼうだ)脅太郎(きょうたろう)っつー刑事からめちゃくちゃ違法な取り調べをされて、■■■■は好きな人って意味なんです〜! といくら言っても、あン?好きな人?ナマ言っちゃあかんわ君。隠語やろ。”好きな人”の頭文字はS。エス覚せい剤のことや。つって。

 調書にも「■■■■は覚せい剤って意味なんです〜!」とか書かれて、それを見た俺は慌てて、俺は覚せい剤なんて言ってない〜! って否定するんだけど、ニュースでは俺の発言を都合のいいように前後を切り取られて「発表によりますと容疑者の男は、取り調べに対して”覚せい剤は好きな人。俺は覚せい剤。”などと意味不明な言動を繰り返しており、警察では覚せい剤の使用を含めて厳しく余罪を追及する方針です」みたいに捏造されて報じられる。

 そのVTRをスタジオで見ていた宮根誠司が、いやあもう最近の若者ってほんまみんなこんなんやね、あほちゃうか、みたいなことを言って、ま、これは良いわ。宮根誠司はいい。まだまだ書かなきゃいけないことがあるし、ミヤネ屋の話をするほどこちとら暇じゃない。

 プランBはさっきのと少し被る部分もあんだけど、より具体的に好きな人をなんか、たとえばオコジョとかマンチカンみたいなかわいい生き物に置き換えて、当たり前みたいな顔でオコジョ大好きブログを更新し続けていくってやつ。これはかなり現実的。

 そりゃ過去の記事で筆が滑って好きな人への思いを熱く書いてたりしてるだろうし、ほらたとえばそれが、オコジョと遊びに行ってそれがほんと楽しくて、俺、告白しちゃった、みたいな文章になっちゃったりしたら、整合性を保つために、「自分、小動物に恋愛感情あるし告白もした異常者ッス」みたいな感じで今後は押し通さなきゃならなくなるだろうけど、それくらいは背負うつもりだよ。これが責任ってやつだろーから、さ。小僧にはまだまだわかんねーかもしんねーけど、責任っつーのは、立場上当然負わなければならない任務や義務のことだ。大辞泉に全部書いてる。

 でもそれよりなにより、このプランBは完全に嘘を吐くことになるから、それってつまり俺が今まで書いてきたものをすべて否定することになるっつーのがなんとなくさみしい。飽きてりゃ別にブログを消して終わり終わりつっても良いんだけど、ブログを書くこと自体は今でも楽しいし、いっそ別のブログでも始めよーかなとかとか、そんな感じで今色々考えてて、でも元カノのことを書くことはないんだろうし、もうなんとも思ってないんだし、みたいな。

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 「ちょっと待って、でもそれって君がほんまに思ってることではないんちゃうの?」

 耳障りな関西弁が耳に飛び込んでくる。僕は、ほっ、と、い、て、く、だ、さ、い、とその声の主に向かって口の動きだけで言い返した。

 いつもこうだ。僕に何かがあるといつも誰よりもそれに早く気付いて、余計なお節介を焼いてくる。今日も仕事終わりにとつぜん彼に連れていかれたと思ったら、誘導尋問みたいにことの顛末をすべて話させられた。

 「だって君がそんな顔してるときっていっつもそうやんか」と彼は言うと、勝手に烏龍茶を二つ大声で追加し、おもむろに僕の頭をがしがしと撫でてくる。だってそんなこと言ったってどうもこうもできないじゃないですかー、と僕はその手を振りほどきながらも、どんどんと本心を吐露してしまう。

 じゃあどうしたらいいんですか、こんなの。

 「思うままにしたらいいやん。良いも悪いもないわ」

 ほんと勝手な人ですよね。

 「難しく考えなや。君がひとりで始めたことやん。それやったら君ひとりで終わらせるしかないねんて」

 ひとりで始めたことは、ひとりで終わらせるしかない、ですか。

 「そうや。僕ら周りにできるのはその過程で君を手伝ったり、君がちゃんとひとりで決めて終わらせなあかんってことを伝えるくらいやからな。おっ、きたきた。ありがとさん。烏龍茶飲み飲み」

 元カノのこと、なんとも思ってない、ってことは、ないです。本当は心の底から憎いです。自分も幸せだから全然いいはずなのに、相手が幸せそうなことになぜかモヤモヤするんです。そういう負の感情すら抱かないまっさらな他人になりたいのに、なかなかなれない自分に罪悪感を感じるんです。

 「そんなこととっくに知ってるわ。僕のやってる仕事わかってるやろ。情報が命やねんで」

 気が付くと僕は大粒の涙を流していた。彼の言葉はぶっきらぼうで、気休めの優しさもなくて、僕の言って欲しいことなんて何一つかけてくれない。なのに、それなのに、自分ですら気が付かないような方法とやり方でいつのまにか彼はそこへたどり着いて、あたたかく僕を包んでくれている。

 どうしていつもそうやって僕のことはなんでもわかるんですか。

 僕の言葉に彼は、さっきも言ったやん、と破顔する。

 「だって君がそんな顔してるときっていっつもそうやんか」

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 「おっお疲れさん。ホシはゲロったで。あいつまだ元カノのこと全然忘れてないわ。起訴の用意すすめてくれ」男は扉の外にいた部下に対してそう言うと、部下たちから賞賛の声があがった。

 「さ、さすが落としのプロ! お疲れ様でした! よくあのホシに自白させましたね。一体どうされたんですか?」一人の部下が男に尋ねると、暴田脅太郎はニヤッと笑いながら「僕の仕事は刑事や」と言った。 これなに?

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 まあ正直、元カノのことをなんとも思ってない、なんてことはない。この期に及んで「好き」ってことは絶対にないけど、まだ「嫌い」とか「見返してやりたい」って思うくらいには、気にしていることは認めよう。

 でも、それと同時に自分の人生の主役は自分だから、ある種その一部を元カノに委ねている現状は健全じゃないと思う。し、何より当時の自分と今の自分とを比べたら今の自分の方が全然好きだし、あのまま付き合い続けてたら今の自分は絶対にいないから、そう考えたら結果的に良かったとも本気で思ってる。

 もう返せないところに置いてきてしまった借りは、今の自分が返せる場所で、返せる人達に返していくしかない。その意味で、こんなに欠点の多い俺を大切にしてくれる彼女とか友達とか家族とかを大切にしていきたい。本当に月並みの言葉だけど、俺が周りの人達みんなを幸せにして、俺もそれを通じて幸せになっていきたい。そんな決意表明に万感を込めるよ。

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 っつーことで皆さんお久し振りです。稚拙です。まずは二ヶ月間もブログを更新できなかったこと、お許しください。起訴されていたのでブログを書く時間がありませんでした。そしてこのブログを更新することはもうないと思います。今までご愛読いただきありがとうございました。またなんか書きたくなったらテキトーにブログを開設すると思うんで、そのときはまたよろしくお願い致します。

デイ・ゼロ

 祖母の面会に行った。病院に行くとまず院長先生のところに通され、祖母の状態と手術の経過、今後の治療についての説明を受けた。祖母は今大腸ガンのステージ4らしい。そして、既に肺への転移も見られている。院長先生はすごく丁寧に言葉を選んで私に伝えてくれていたけど、要するに一旦は手術をして体調が落ち着いているものの、祖母のそれはもう完治することはなくもって数ヶ月。今この瞬間も命のカウントダウンは刻一刻と進んでいるということだった。そして、祖母はまだそれを知らない。

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 簡単な面会の手続きをしたあとに消毒を受けた。面会時間は20分らしい。短いなと思った。それでも、新型コロナウイルスが蔓延していた頃と比べたら緩和されたそうで、思い返してみれば当時祖父の死の間際、彼はすでに病床に伏していてそのまま彼を看取ることができなかったから、それを思うと、どんなに短い時間であったとしても、与えられたこの時間は神様が私に与えてくれたギフトなのだと思うようにして、彼女がいる病床へと向かった。

 ドア越しにまず目に入ったのは一年前と比べて驚くほど痩せ細った彼女の躰だった。大腸の調子が悪く、もう満足に排泄ができなくなっていること、そしてそれが伝ってなのか分からないけど、このところ十分に食事も摂っていなかったことは、親戚から何度も聞いていて、その度に脳内でシミュレーションして覚悟をしていたけど、それでも五感を媒介として眼前に突きつけられた"現実"は想像していた以上に痛々しくて、覚悟していた以上にショッキングなものだった。

 彼女と話す上で、とにかく意識しなきゃいけなかったことは「彼女に自身の容態を悟られないこと」だった。手術が成功してようやく家に帰れることに安堵しているであろう彼女に、いつもと違う私を悟られてしまってはきっとそれは彼女の心に再度深い闇を落としてしまうことになりかねない、そう感じたからだ。だから、私は「平常心、平常心、平常心」と心の中で三度念じた後に、すーっと深呼吸をして部屋に入った。

 彼女は見かけ以外はいつもと変わらなかった。「あら、"そう"ちゃん。わざわざ遠くから来てくれてありがとうね。この前は旅行に行けなくてごめんね」と私の顔を見るやいなや、ぱあっと明るく嬉しそうに、そして少し申し訳無さそうにはにかんで私の方を向いた。

 「ううん、元気そうで良かった。あと、俺は"そう"ちゃんじゃなくて、"ゆう"ちゃんだよ」と、数年前からアルツハイマーを発症して従兄弟と私を誤認している彼女に、これまでと同じように訂正した。そうすると彼女は「あぁ、そうだった。"ゆう"ちゃんだった。」と、少し悪びれながら返した。時を経るごとに、私の名前を呼び間違える回数が増えていき、このところもう正しい名前で呼ぶことのほうが少なくなっていた現状に切なさを覚えていたけど、突然訪れた死の気配を前に、そのやり取りすら、これまでと変わらない日常の一幕を感じることができて、少し嬉しかった。

 続けて、彼女は私がまだうんと小さかった頃に妹と三人で井の頭公園の桜を見に行って、それがすごくきれいだったこと。私が麻布中学に合格し、その後慶應義塾大学に通ったのを本当に誇らしく思ったこと。そして、大学での勉強の話や友人の話を聞くのをいつも楽しみにしていたこと。何かの折に電話をかけてくれて、彼女の体調を気遣ってくれたのが嬉しかったこと。年に数回彼女とする手紙のやり取りをいつも心待ちにしていたこと。元気になったら、また親族みんなで旅行に行ったり、東京に遊びに来たりしたいこと。来年の春は中之島に桜を見に行って、夏になったら淀川の花火大会も見たいこと。話は尽きなかった。

 その後、少し私の近況を報告した。転職が決まり次の職場もそれなりに良さそうなこと。最近わりとよく一緒にいる仲良い女の子がいたり、他の友達にも恵まれていて、日々悩みはあるけど楽しく過ごしていること。すると、祖母からは「"ゆう"ちゃんが結婚して孫が早く見たいわあ」なんて言われて、「それは俺だよ」って天然なのかボケてるのかよく分からないやり取りをした。

 そして、面会終了の時間が来た。看護師さんから「最後にひとこと」と話を振られて、なんて言おうか少し悩み、間を置いて出てきた言葉は

「元気になったら旅行に行こう。いつか俺が結婚して、子供ができたりしたら、井の頭公園にいって、昔おばあちゃんと見た桜を見に行こう。絶対に。これからも、ずっと先も。また近いうち会いに来るね。」というものだった。

 優しい嘘が口を突いて出た。嘘だからなのだろう。泣けやしなかった。彼女も私も笑顔のままお開きになった。

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 電車に乗りながらふと我に帰る。

 「旅行に行けたら嬉しいけど、もしかしたら厳しいかもしれない。そして申し訳ないけど、俺が結婚する姿も相手も子供も、貴女には見せられそうにありません。でも、もうちょっとだけこんなふうに貴女と話すことができたらそれだけで十分だから、どうかちょっとだけでも長生きしてください。来月から仕事が忙しくなるけど、必ず顔は見せに行きます。どうかそれで許してください。」

 本当はそう言うべきだったのかもしれない。だって、彼女と会うのはこれが最後になるかもしれない。だから、彼女にはお別れの言葉と感謝と実現可能なお願いだけをすべきだったのかもしれない。葬式でさよならと言ったところで、死んだ人間に届くはずなんてないんだから、生きてるうちにちゃんと別れの言葉と、感謝の気持ちを伝えることだけが、終末期を突きつけられた人間に与えられた権利なのだから。

 でも、その権利を行使することは私にはできなかった。そんな勇気も、覚悟もなかった。病室には思っていたより近くに死の気配があって、本音を言うと、別れの可能性なんて口にしただけでも泣いてしまいそうで、私は彼女にそんな姿を見せることはとてもじゃないけどできなかった。

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 終わっていく。すべてが終わっていくんだ。帰省する度に家で出迎えてくれるときの笑顔も、料理をするときの慣れ親しんだ後ろ姿も、東京に戻るときに俺の姿が見えなくなるまで玄関で見送ってくれていた小さな体も、そこにはもういない。ひとつずつ、全てがさよならを告げずに終わっていく。

 名残惜しんで手を伸ばすことはもう許されない。どれだけ離したくないものだとしても、全てを掴み取って心に刻みつけることはできない。どれもこれも手を付けて空き容量を減らせば減らすほど、身動きが取れなくなるくらい身体が重く、そして鈍くなる。まるでローカルディスクがいっぱいになったパソコンのように。

 赤紙が来たのだ。彼女は戦場へ行く。

 どこにも逃げることはできないし、一度行ってしまったらもう戻ってくることはない。

 太平洋戦争へと、半ば強制的に連れて行かれた日本兵に彼女を、そしてそれを見送る家族に自分自身を重ねる。命を惜しむことも、涙を流すことも許されなかった若い兵士たち。死を恐れることの許されなかった青年たち。そして、その感情を押し殺して笑顔で彼らを見送った家族たち。

 「日本男児たるもの強くあれ、泣いてはならぬ」そう自分に言い聞かせて、クリスマスイブに浮かれる梅田を、かつて祖母と色々なお店に行きいたるところに彼女との思い出がある梅田を駆け抜けて家路についた。

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 帰宅して、祖母のいない"おばあちゃんち"に帰り、食卓で物思いに耽っているとふと、彼女が楽しみにしていると言っていた手紙を久しぶりにちゃんと書こうと思い立った。幸い、私は書くことが好きだし、言葉で本音を伝えるのが苦手な分、ちゃんと文字に想いを載せることができる。神様が私に与えてくれた数少ない才能だ。正直な思いを彼女に伝えよう、そしてそれを形に残そう。と思った。

 本棚に入っているレターセットを開封し、ペンを取る。次いつ会えるかなんて本当にわからないんだから、何だって書いてやろう、普段言わなかったこと、そしてずっと言えなかったことも。

 何を書こうか。これまでの思い出、彼女の好きなところ、感謝していること、ねぎらいの言葉、そしてこれから緩やかに弱っていく彼女に対する励まし、次から次へと浮かんできてやっぱりキリがない。まずは感謝の言葉から入ろうか。ありがとう、と書き始めたところで、どうしてだろうか。次第に視界が滲んでいき、手が小刻みに震えだした。

 書けない。書くことを体が拒んでいる。

 何を書けばいいか、何を書くべきか、頭ではスラスラと思い浮かんだはずなのに手が全く言うことを聞かない。

 どうして俺はこんなものを書いているんだ?

 どうして俺は彼女が死にゆく姿を黙って見てることしかできないんだ?

 どうして俺は今の彼女の望みを叶えてあげることができないんだ?

 このとき私はそう遠くない未来に彼女が死ぬことをまだ全く受け入れられていないのだと自覚した。今日一日ずっと自分の感情を押し殺しながら、死は誰にでも訪れるもので、そのときが来るだけだと言い聞かせて、その反動でもっと生きてほしくなって、もっともっと彼女と一緒にしたいことが増えて、それでも死の運命を受け入れなければならないのだと自分に言い聞かせていただけだと気がついた。

 彼女へのねぎらいとか励ましとかそんなの全部放り投げて、ただ俺はこの食卓の向こう側に彼女がいて、少し手料理を振る舞ったら「美味しい」と笑顔で食べてくれて、テレビを点けて中身のない話をして、もう何度聞いたかわからない彼女の思い出話を聞いて、寝て起きたら末期ガンは全て治っていて、悪い夢でも見ていたのかなあなんてとぼけて、おばあちゃんの家って暇だよなあとか言って二度寝をする。そんな普通の生活に戻りたかった。あらゆる思い出が走馬灯のように交錯し合って、気がつけば私は誰もいない食卓で涙が枯れるほど泣いていて、気づいたらレターセットを広げたまま、食卓に突っ伏して寝ていた。

 そして、目が覚めて改めて一人ぼっちの家であることを認識し、それが当然とでも言うようにそこに祖母はおらず、どうやら悪い夢ではなかったらしい。レターセットを片付け、再び思いっきり泣いて、すっきりしたわけではないけれど、それでも少なくとも泣く前よりはすっかり頭が冴えていた。清々しいとかは全然なく、心にぽっかりと穴が空いたままではあるが、今こうして誰に充てるでもない正直な気持ちをブログに綴っている。

 きっと自分が今までに書いたどの記事よりも感情が前面に出ていて、構成も言葉遣いも後から見直したらめちゃくちゃなんだろう。でも、それでいい。この記事だけは書き終えてから見返して体裁を整えるなんてことはせず、等身大の思いを書き記したものにしよう。

 どう足掻いても時間は待ってくれない。どんなに考えるのを後回しにしても、彼女の命のカウントダウンは刻一刻と迫ってくる。決して私の一存でそれを先送りにできるわけではない。今はまだ彼女の死を受け入れられない自分がいて、書き殴ったようにめちゃくちゃに思いつくまま単語を羅列して、逃避することが自分にできる全てだ。でも、この残り僅かな時間は神様が私達に与えてくれたギフトなんだと大切にして、彼女を信じて、祈って、その先で決心して、彼女への渾身の思いを文字に込めて、ちゃんと感謝とお別れを、伝えようと決心した。「そのとき」が来るまでに。

 2023年12月24日。

 私と祖母にとってのDay 0が始まりを告げた。

目は口ほどに

 大学一年生の夏、髪を金色に染めてパーマをかけた。それまで俺はそういった量産型大学生みたいな恰好を小馬鹿にし続けてきたもんだから、サークル内でも髪を染めるならまずあの人に話通しとけ、みたいな、黒髪ストレートの過激派ゲリラ的な存在に祭り上げられていて、当然周りに集まってくる奴らも、あえて黒髪だから良いんっしょ、みたいな逆張りナルシストや、あなたが髪を染めるとき、髪もまたあなたを悪に染めるのだ、みたいなひねくれニーチェもどきみたいなのばっかで、当然髪を染めたり巻いたりしていた女からは、世の中のすべてが気に入らない奴らなどと凄まじいそしりを受けていた。

 当然こちらとしてもなにくそ、あいつら髪だけじゃなくて心までひん曲がりやがって、と、まさに一触即発、諸君、私は戦争が好きだ、みたいな演説がいつ始まってもおかしくないようなそんな状況下で、俺は髪を金色に染めてパーマをかけるタイミングを伺い続けていた。だって、夏だし。黒髪って重いし、パーマってお洒落じゃん、わかんねーけどさ。でも狂気に犯された過激派の同胞たちは、クリーク!クリーク!クリーク!とか叫び始めてて、あとはもう俺の、よろしい、ならば戦争だ、待ちみたいな、そんな目してた。

 全力で濁し続けたよね。気付かれないような遅々とした速度で徐々に態度を軟化させていって、まーなんだかんだパーマとか金髪とかも実際悪くないと思うけどねー、みたいなことを最後は言い始めちゃってた。どちらかって言えば好きじゃないけど、ま、経験としてやる分には悪くないんじゃない、的な落としどころでうまくやろうとした。同然周りの反応とかは、あれ?そんな感じッスっけ、みたいな、まさか最近ちょっと興味あるんスか、的なそんな疑いの目を向けられるんだけど、お前ら馬鹿野郎つって。大慌てで。ほんと何もわかってねーなこれも作戦だっつーの、内部工作だろーがって。ならみんな、疑った自分が恥ずかしいッスみたいな、パネエ、やっぱ敵わないッス、マジ背中でっけえッスみたいな、もし髪を染めても信じ続けるッスとか言いながら、最後はみんなで肩組んで泣きあった。

 で、その後、あいつらが超バカで良かったー、てか遅れちゃう遅れちゃうってな感じで自転車立ち漕ぎで美容院へ行って、金髪にパーマでお願いしまーす!みたいな。なんなら美容師と話が盛り上がりに盛り上がって、最終的にもうじゃあ金髪にショートマッシュっぽい感じで行きましょうつって、数時間後、鏡の前に大学生が居た。こういう奴いるわー、絶対04 Limited Sazabys聴いてるわーみたいな。

 でもサークルのみんなの反応は、え、すごく似合ってんじゃんみたいな感じですこぶる良くて、ゲリラ同胞たちも、うまく溶け込んだッスね、これが内部工作ッスね、みたいに遠目にウインクしてきたりして、うぜえなとか思いながらも、ん、まあ、すぐ戻すけどね、的な予防線を張って、でも内心はノリノリのうっきうきで、結局そのまま半年くらい同じような髪型にしてた。さすがにその頃にもなると、同胞たちも、いくらなんでもおかしくないッスかみたいな、半信半疑っぽい意見が無視できないくらいに出てきて、俺はちげーちげーこれは、って必死に宥めつつ、傷つかないための予防線を、微妙なニュアンスで示そうとしてたんだけど、全然防げねーのな。

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 そんなとき事件が起こった。当時俺が付き合ってた彼女って、そりゃもう学内でも有名な可愛い黒髪の子で、名前を出すと、あ、あの黒髪の可愛い子ね、とか、足の細い可愛い子ねとか言われるくらいに知れ渡ってる、見たまんまお人形さんみたいな、まあそれを本人に言うと、日本人形みたいじゃない?とか言って嫌そうにするんだけど、とにかくみんなが黒髪の可愛い子と認識しているような子で、その彼女がいきなり髪染めよっかなとか言い始めた。そりゃもう全力で止めた。俺が全力を出したのなんて、その時と、高校一年生の時に全く自転車通学なんてしてないのに自転車通学者向けの説明会に参加してしまったときだけじゃんか。

 いや、待って、染めるったってお前、黒髪が一番じゃん、お前のその綺麗な黒髪を維持するためにしてきた努力が一回の染髪で全て水の泡になるんだよ、髪なんてきっしきしになるし、毛先はパサパサになって、その裂け目が原因でみんな最後はもがき苦しみながら身体が裂けて死んでくんだよって、必死に説得した。それだけじゃなくて、俺がどれだけ黒髪が好きで、それ以外を憎んでいて、お前のことが好きで、お前のそのセミロングでストレートの黒髪が世界で一番可愛いと思ってるよって、ショートマッシュかつパーマで金髪の!奴が。彼女、きょとんとしてた。いや、でも、そっちも染めてるし、しかもそれパーマもだよね。って。

 こりゃおっしゃる通りだわつって、じゃあせめてちょっとだけ待ってって彼女に頼み込んで、即行美容院へ黒染めしに行って、あの、パーマを戻すとかできんのかわかんないけど、とりあえず俺も色だけは黒に戻したからって、なにとぞなにとぞつって、そしたら、「わあ!それすごく似合ってる!わたしそれ好き!」ってすげー褒めてくれて、おお怪我の功名じゃんみたいな、でも確かに自分でもこっちの方が似合ってる気がするなとか、やっぱ日本人たるもの黒髪なんだよって思いながら、いやでもお前が考え直してくれて俺も嬉しいよ、みたいな。彼女もうんうんって満足そうにしてて、冬っぽくて黒髪もいいなーなんて言ってくれて、伝わってくれてよかったよ、お前の黒髪にゃ雪がよく映えるとかなんとか言いくるめながら、彼女も、んもうばか……って満更でもない感じのロマンチックな雰囲気で解散して。 

 で、彼女、次の日パーマかけてきた。髪染めるのやめた!ってすっごく嬉しそうに。全然伝わってなかったなー。一休にトンチで言いくるめられた人ってこんな気持ちなんだろうな。ガッハッハ!こりゃ一本取られたわい!ほれ褒美を取れ! 一休やー!みたいな、アレ完全に嘘だわ。ただ、いやいやいやいや、つった。

 いや、確かに、うん。可愛い。可愛いけどさ。それはこう、ギャップつーのかな、普段見慣れてない分、そのパーマにはボーナス値みたいなのが今はあるって話で、慣れてきたらやっぱり純粋な魅力の基礎値はストレートが上なわけなんだよ。これ伝わんないかなー。そもそもこう、ヘアアイロンとかで髪を巻いてきたりみたいな、そういうのは今までもデートとかの時にあって、それはすっごく可愛かったし似合ってたし、じゃあそれで良かったじゃん、みたいな。コテ使おコテ。

 もちろんヘアアイロンの方が髪に悪いみたいな話もあるし、そもそもパーマと髪を巻くことは女の子的には全然違うものなのかもしんないけどさ、正直男サイドでは違いなんてわかんねーんし、なんだ、綺麗な黒髪を維持するための努力云々の話をした手前すごく言いづらいんだけど、同じなら髪を痛めてでもストレートで居てくれない? 素の状態はストレートであってくれよ、みたいな。

 ただ当然のように彼女の女友達からは大絶賛なわけで、俺、その時ほんとに思ったんだけど、彼女の女友達が役に立ったことって一度もねーのな。あいつら、常に敵の味方なわけ。なんか、「わー!可愛いー!パーマかけたんだー!雰囲気全然違うねー!」みたいな。絶賛の嵐吹き荒れてた。暴風域。なんなら、ぱっつんにして前髪作ろうよー!的な、どさくさに紛れてとんでもねえ入れ知恵をするやつまでいる。「やめろー!ぱっつんを勧めんな!散れ散れ!」つって、まあその一件で彼女も満足したのか、その後は自然とストレートに戻っても再度パーマするみたいなことにはならず、相変わらず綺麗な黒髪のまま、途中で髪を切ったりぱっつんにしたりとかしつつも平和に過ごしてた。俺は相変わらず黒髪にパーマだった。

 でもその平和ってあくまで彼女の我慢の上に成り立ってるってムチャクチャ大切なことに俺は気付けなくって、その次の夏、二人で沖縄へ行こうっつーことになって、電話で色々予定とかを立てながら楽しみだねーとか言ってる時、突然彼女が、あ、そういえば今日髪染めた、って言い出した。え、だって夏だし。沖縄だし、みたいな。あ、もう普通に事後報告なのね。完全に半年前のやり取りを根に持ってたんだな、学んでるなーって。大丈夫大丈夫、全然黒いままだからとか言ってくるんだけど、いやそれ俺知ってるって、太陽の下ではガッツリ茶色のパターンじゃんって、まあでもそれが意外と彼女に似合ってたりするもんだから可愛いって得だなとか思ったりもして、まあそんなことを経験しながら俺もその彼女のおかげで、黒髪ストレートが好きだけど別に似合ってたらなんでも良いんじゃね、みたいな穏健派くらいにはなって、好みは伝えるけど止めたりとかそんなことは別にしない、みたいなスタンスになってった。

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 そんなこんなで、わりと黒髪ストレートが好きなまま割と適当に過ごしてて、その間に彼女ができたり別れたりしてまあ端的に言うと、それなりに人生を楽しんでたわけだけど、なんか最近知り合った女の子とテキトーにカフェで会おっかみたいな。俺も時間あるしちょっと話そ、みたいな。そんな感じでなんの気なしに行った新宿で、ある女の子と出会った。

 ロングで髪巻いてていかにもって感じの茶髪で、簡単に言うと全然タイプの女の子ではなかったんだけど、くりっとした大きな目の可愛らしい女の子だった。その子とはしばらくの間特に飲み友達以上の関係になることもなく、つまりなんだろ。そういう意味で全然仲良くもなくて、びびびっと電流が走ったかのようになにか直感めいた好意みたいなものも特になく、時間のあるときにサクッと会っては帰るみたいなそういう緩い感じで遊んだりしてた。

 で、なんか何度も遊んでたら、なんの気なしに話す話題とか増えるじゃん。だからかわかんないけど、それからは徐々に毎日連絡を取るようになって、徐々に砕けたタメ口になり、呼び方も下の名前で呼ぶようになって、まあつまり正しい友達の形を取りながら俺たちは仲良くなってった。そんでまあ、その間その子はずっと茶髪で、俺はパーマをやめて、だけど黒髪のままで、そんな風にしてゆっくりと、でもあっという間の数ヶ月が過ぎていった。

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 で、まあ俺がちょっともう色々吹っ切れたかも、今は今で楽しまなきゃ損かもみたいな。そういう心境の変化があって、だからと言ってどうとかそういうのじゃないし、別にまあ全然そんなことはどうでもいいんだけど、何度が飲んでたし、楽しいし、すげえ話しやすいしつって気兼ねなくいつもみたいに「遊びに行こうぜ」みたいなそんな感じで声をかけて、「え、いいよ。いこ」みたいな。そんな感じで当日、何週間かぶりに会ったその子は、いつもみたいに長めの艶やかな茶髪を可愛らしく巻いてきてして、予定より何本か遅い電車でやってきた。

 うわって内心ドキドキしながら普通にめっちゃ遅刻じゃん、まあ俺もよく遅れるから別に気にしないけど。とかどうでもいいことを言って、その子は、「ごめんね、めっちゃ待ったよね」つって大きな目をくるりそわわって心配そうに動かして、その目を動かすやつ初めて見たけどなんかいいななんて笑いそうになりながら一気に緊張がほぐれて、俺が食べたいって行ったご飯屋へと入ることにした。

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 なんかそうやってお互い話す中で相手も相手でそれなりに引きずってた前の彼氏が最近どうでもよくなってきたみたいなことを知って、「へえ、そんな変化あったんだ、知らなかったわ」「別にそんなわざわざ言うことじゃないし」とか言いながら興味津々で聞いてみると、最近された嫌だったこととか言われてむかついたこととか、そんな話を相手はいつもより早いペースのお酒で、なんか吹っ切れたみたいにがーーっと話して、それを聞きながら、なんかこんな感じでめちゃくちゃ元気に話すの新鮮で可愛いな、みたいな茶々を入れたりはしなかったけど、内心思ったりして。

 俺がなんかお酒が回ってきて、ADHD特有の落ち着きのなさみたいなのが出たりしたときにその後すぐまたくるりそわわってして、ちっちゃい肩をさらに小さくしながら、あたしのこんな話聞いても楽しくないでしょって、そんな雰囲気を醸し出して、その度に俺は「ごめん、なんでもない」って。

 なんかそれでふと思ったんだけど、こいつ自分の話するといっつも相手の反応気にしてるなあとか、茶髪のロング似合ってて可愛いかもなあなんて、途中から真剣に心配そうに俺を見てる彼女が面白くなってきちゃってなんか可愛い可愛いって言ったりして、そんな感じでその日もいつも通り本当に楽しかった。

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 その後もお互いに割と時間があって、俺らはお互いの時間が合う度に飲みに行ったり、それまではしなかった飲み以外の目的がある遊びへ出掛けるようなこともし始めて、その子の茶髪はその時々によっておろされてたり巻かれてたりくくられていたりところころ変わった。その全部がとびっきり可愛いかった。たしかに俺ってずっと黒髪ストレート教の狂信者だったんだけど、なんつーか、うん。率直に言うと、「茶髪ってもしかしてけっこう本気で良くないか?」みたいな、そんな感じで、その子の可愛さを意識するようになってった。なんか、そういうのってあるじゃん。げって。げっこいつ可愛い、みたいな。

 別に俺にはその間も別に恋愛してーとかそういいわけじゃなくて、まあその、その子に迷惑だったら悪いしこの関係はそれはそれで心地良いから、どうしたものか真剣に悩んじゃって「好きになっちゃうかも」とか本人に言ったりはしたけど、付き合うってなったらテンポも向こうの感じも全然そんなのじゃなくて、けどじゃあ純粋にただ気になるだけで、周りの他の女の子よりも一歩リードみたいな感じだったかと言われるとそんなこともなくなってきてて、辺りがすっかり寒くなってきた頃には、もう好きって認めざるを得ない感じになってた。

 その頃には、今まで以上によく話したりとかなんかLINEするときの文章もちょこっと考えちゃったりして(無意識に送ると俺の変なとこ出るのわかってるから)、改めて俺、その子と会ったときにふと気付いたんだけど、別に黒髪が好きなわけでも、茶髪ってなんか良くね?とか心変わりをしたわけでもなくて、その子の目がとにかく好きだったらしい。なんかその子ってちょっと長めの前髪が目にかかってさ、話しかけるといつも少しびっくりしたように目を見開いて、俺の目をちゃんと見ながら、ん、どうしたの、って今にもそう言いそうな無防備な顔をするんだけど、それがすげー好きだったんだよね。

 俺、友達とかと飲みに行ったりするときって、ものを咀嚼してる姿とかを見られたくないし、煙草を吸うから隣に座ったほうが都合がいいとか、あとほら、もちろん相手の横顔を間近で見れるとか、そういう下心もあって、だからカウンター席って結構好きだし、できればボックス席でも隣に座りたいんだけど、その子の場合は対面に座るのもすごく楽しかった。ころころ変わる表情をずっと見てたいと思うし、笑ったときのくしゃってなる目も、俺がトイレから帰ってきたときとか携帯を見ながら油断して無表情に澄ましてる感じの目や表情も、とにかくすげー好き。

 その子は常に眠そうな感じの目だからって、そんなに自分の目がいいとは思わないみたいなことを言うんだけど、そんなことを気にしてるところも可愛いし、えっそうなのちょっとよく見せてって、見てたら、「OK、大丈夫。今日も可愛いよ」みたいな。そしたら相手は無表情で無視。けど、無視できてないの丸わかり、的な。そこも可愛かった。

 なんかその子ってあんまり自分の話とかしないし、俺の名前とかも普段全然呼ばなくって、話しかけてくるときも、なあなあ、みたいな、とにかく照れ屋というかにこにこしてる子で、なんかたまに、今日うまいこと巻けなくって、みたいなことを言いながら、髪をおさえて恥ずかしそうにしてる感じとかすげー様になってるの。その仕草、特許とりなよ、って感じ。

 なんか別にその子って特に無口とかではないしむしろお喋りなんだけど、内向的つーか受け身で、普段は俺ばっか喋ってるんだけど、その子の目を見てると相手も本当に楽しそうにしてくれてるんだなって伝わってきて、くるりくるりって目や表情が動いてくの、ほんと見てて飽きない。それからわりかし時間経ってるけど現在進行形で好きなままで、あ、言っちゃった。言っちゃったわ。さすがにアラサーにもなって今更好きな人の話ってやべーよなとか思って、過去のことですよって顔をしながら書いてたんだけど、完全に勢い余った。

beyond the words

 ツイートとブログの狭間。無粋だから特にシェアもしない。

🐤何かを得る為に何かを犠牲にしなければいけないと思い込むあまり、何かを犠牲にしたから欲しいものを得られる、という誤った論理に飛びつき、犠牲にした価値観は「幻想」で、その次に採用した価値観を「現実」と名付ける言葉遊びで不断に現在を損なっていくから、いつかその「幻想」とやらに復讐される。

🐤論理の正しさなんて誰も気にしてなくて保守的な権威性ばかりがこびりつき、実際にはなにひとつ自由に決められることなんてないのに、見せかけの自由のせいで責任だけは負わされる、浮世は今日も最悪。

🐤とある物事は一行の記述に還元できない。一行で完全に記述できるのだとしたら、その一行の表現が、物事それ自体である事になってしまうからだ。あらゆるものが、表現の形を借りる限り、常に間違い続けている。恍惚とする距離があり、その距離が描く輪郭こそが愛を象るように思う。

🐤素晴らしいもの、悲しいもの、喜ばしいもの、嫉妬に狂うような恋心、体の奥の硬い芯を捻るような苦しみ、緩やかなやさしさ、儚げな関係性、残像みたいな感情と、クソと水の詰まった皮袋である私たち人間同士が、罵り合い、後に愛し合い、最後にお互いの失望で、穏やかな無関心で、全てを埋め立ててゆく。

🐤インスタに楽しげなストーリーズをシェアしてる人はわりあい多いもんだけど(自分もたまにやるし)、「楽しさ」って感情はそもそもシェアできるんでしょうか。できないんじゃないか。ていうかインターネット空間で「シェアする」って言うときに、我々は「情報」以外の何かをシェアできるのか?オフラインじゃないと結局は時間も空間もシェアできないわけだし。変な言い方だけど、オンラインのシェアによって、オフラインのシェアのための種を蒔いてる、のか。

🐤コロナ以前の「身体を使った」就活をして、いまの会社にいるわけだけど、仮にZoomの就活だったらたぶんもっと全然失敗してると思う。その場にいることによる謎の説得力、みたいなもので生きてきた自覚があるから。だから学生時代、新聞社とかライターのバイトでインタビューするとかってのは本当よかった。と、こう、色んな意味で自分の過去をどんなふうに束ねられるか、というフェーズにいるの気がする、多分。

🐤なにごとも熱しやすく冷めやすい自分を顧みながら、とにかく、飽きないように飽きないようにと願い続ける。欲望をコントロールするのはむずかしい。願うだけじゃなくて、部屋でひとり呟いたりもしてるんですよ。それだって所詮は言葉なわけだけど。何に対して「飽きないように」かって、そりゃ今愛しているすべてのことに。

サンタクロース・ダンス

 サンタクロースの正体を知っちゃったのって、たしか俺はまだ小学校低学年くらいで、たぶん同級生の誰かから、とある情報筋によるとサンタクロースってどうやら結構近くにいるらしいぜ、俺は親が怪しいって睨んでる、つーことを教えられた時で、うわそっかーって。俺、てっきりサンタクロースって全世界の子供たちにプレゼントを配ってあげてるんだと思ってて、俺よりももっともっと貧しくて、苦しい暮らしをしているアフリカとかの子供たちも普段すっげえつらいけど、一年に一度くらいはごちそうやプレゼントを貰えるからそれを楽しみに一年間頑張ってんだろうなって。でも俺のお父さんがサンタクロースなんだったらそっか、その子たちは最初っから何も貰えてなかったんだ、サンタさん、一度も来てなかったんだ、ってこっそり泣いた。

 

 俺の根っこの部分ってこの時流した涙の純粋さそのままなんだよね。心が綺麗過ぎるの。今まで色んなところで俺の心の優しさについては訴えてきているのに、俺が心優しい純粋な人と考えてくれている人は少なくて、今のところ、俺を含めて一人しかいない。せめてさ、せめて好きな人にくらいは、ちょっとくらい伝わって欲しいとか思ってるんだけど、その、まあなんか日々の行いのせいでちょいとばかし誤解されてる的な、まあ誤解つーか正解なんだけど、とにかく、そりゃ不安にもなるよねーつことで、同じ理由で引かれっぱなし。

  こうやってさ、誰に宛てるわけでもない、誰が読むわけでもないような宣言を書きながら思うんだけど、俺、やっぱり文章を書くことが好きだ。自分の書いた文章って大好きだし、こうやってくだらねーことをだらだら書く行為そのものが本当に好きだ。キーボードを叩く度に増えてく文字を見るのが好き。誰かに読んでほしいとかそんな段階の前に、自分の中に表現しきれない気持ちがまだまだあって、書き足りないという渇欲があって、今日もこうやって自分の喜怒哀楽について書けてるってことがたまらなく嬉しい。頭の中でぬちゃちゃんってなって沈殿してるものが、少しずつ少しずつ形になってって、パーマンバッジみたいに俺を強くしてくれる。全然書ききれることはないしピッタリの言葉なんて見つかるわけもないけど、ああでもないこうでもないって言葉を探す過程の中で、感情と語彙の相対数の限界を好きな人で感じることができる。自分が自覚的に好きだと認識できてる部分なんて、全体から見るとほんのちょっとなんだって勇気をもらえる。

 ほんとよかった、文才も語彙力もなくて。小学校の頃、夏休みの宿題の日記作文が本当に嫌いで何を書けば良いのかわからなくって、最終日に「ぼくは日記の宿題があまり好きじゃなくて途中で花火をしたり旅行した時もまあいいっかと思って放っておいたら、もうすぐ新学期が始まってしまうことに気付いて、あわてて今、書いています。でも今日は日記を書く日だと決めていたので、友だちとも遊べずにただ日記を書いてるだけで終わりそうです。悲しいです」みたいな、〈日記を書く〉という出来事を日記に書いてたようなセンスもやる気もなかった俺が、今は誰に頼まれたわけでもないのに、その何倍もの量をうきうきしながら書いてる。ほんとオススメ。みんなも一回くらい思いつくまま書いてみない?好きな人とか彼氏とか彼女とか、別に人じゃなくっても好きなものとか場所だとか。文章じゃなくても、絵を描ける人は絵でもいいし、曲を作れる人は歌でもいい、なんならダンスが好きなら踊っちゃってもいいと思う。そんでもって下手くそでもいいから俺に見せてくれ。ダンスはYouTubeに上げてくれ。Goodボタンいっぱい押す。

 そうやってみんなで自分の気持ちを再確認して、その大きさにびっくりし合って、好きなものをもっともっと好きになって、胸にパーマンバッジを付けて最強になんてなっちゃったりして、いつかサンタクロースがごちそうとプレゼントを持ってきてくれる日を気長に待ってようぜ。幸い、近くにサンタクロースって居るみたいだし。

夢の中で拡大する僕の街

 ショートコラム的な。

 

「かわいさ」

 かわいいってことはかなり手強い。かわいさは指摘される度、自覚する度に高まっていくものらしくて、一旦かわいくなってしまうともう簡単には手が付けらんない。

 俺はよく人にかわいいねって言うんだけど、この間、地元の行きつけのカフェのかわいい店員さんが普段と違うふうに髪をくくってたから、いつもみたいに何気なくかわいいですねって言ったら、もっと言ってください、って笑って返されて、めちゃくちゃびっくりしてそのまま飛び上がって天井に突き刺さった。自分が今何を言われたのか全く判らなくて、ようやく理解した時には感動すら覚えた。

 ああ、かわいい人はかわいいと言われ慣れることで、よりかわいくなってしまうのか、と。

 他にも、たくさんお金掛けてるからですよ、と冗談っぽく返してきた人もいた。こういう気持ちの良い返しをされるたびに、俺はそれをこっそりとメモをして、秘蔵のコレクションに加える。そしてその洗練された返答に至るまでの道のりを夢想する。今までに何百回、何千回もかわいいと言われ続けて、その度に彼女らのかわいさは研磨されていって、異性から求められ続けてきた人だけが醸し出せるコミュニケーション論の匂いがまた別の男を婀娜やかに訴求する。

 切った髪を褒めたときに、稚拙さんに褒めて欲しくて切ったんです、と言ってきた人がいた。目眩がする。何万回褒められたらこんな台詞がさらっと出てくるようになるんだ。仕草や言葉一つでその人が今までにどれだけモテて、言い寄られてきて、下心の放射性に歪められたかが、なんとなく伝わってしまう。それがたまらなく楽しい。

 俺はよく人にかわいいって言う。少しでも相手のかわいさに寄与できるように。

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「涙」

 最近涙もろくなった気がする。いや、正確に言うと涙もろくなったわけじゃないんだけど、涙を流すということに対しての抵抗感みたいなものが日に日に薄れていってる。

 今日もなんか、家族でNetflixを観てて、俺は酒を飲んでて少し酔っ払ってたからなのか分かんないけど、特別泣けるような内容の映画でもないのに思いっきり泣いちゃって、そのときになんかすごくスッキリして、あぁこれって自慰なんだってすごく腑に落ちた。

 たった数cc分の体液が自分の精神状態に大きく作用するってことは男なら誰でも知ってることで、感情的になったときのその効用もよく分かってる。なるほど。そういうことだったんだ。それなら俺も恥ずかしがらずにちゃんと涙を流してこればよかった。汗や精液みたいにスポーツと割り切って、気持ち良さのためだけに涙を流してきたかった。

 女の子って誰かに怒られたときとか、めちゃくちゃ怒ってるときとかに、泣きたいわけじゃないのに勝手に涙が溢れてくる、みたいなことを言うじゃん。今ならそんな心のバランスの取り方もなんとなく理解できる。

 男が泣いちゃうなんてそんな恥ずかしいことないっしょー、とか思ってたけど、心のバランスの取り方を意図的に選べるのなら、涙を流すって方法はかなり、なんというかかわいらしい方だし、まだ場所を選ばないのかもしんない。上司に怒られてる時にスクワットやオナニーなんて始めるわけにはいかないんだし。

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「恋の三要素」

 最近友人の結婚の報告をInstagramFacebookで見かけたり、特に仲の良い友人は直接LINEで教えてくれたりすることが増えてきた。その度、いいねをしたり形式的な「おめでとう」を返したりしている。

 そうして、ふと考えたんだけど、恋の三要素は〈ときめき〉〈親密さ〉〈性欲〉だと僕は思っている。このうち二つが維持できればその恋は続く。一般的には、時間の経過と共に〈ときめき〉と〈性欲〉の値は減少し、〈親密さ〉は増大する。つまり、二対一で不利なわけだ。

 個人差はあるだろうが、私はこれまでの恋愛において三要素のうち〈親密さ〉しか維持することができなかった。そういう場合でも、お互いが残りの二つに関する欲求を他の対象に向けなければ恋は続くのだろう。だが、それができず壊れてしまった関係性が多い。

 「それは…当たり前だね?」と友人は言った。うん、でも〈ときめき〉と〈性欲〉に一生近づかないことなんてできるんだろうか?

 〈親密さ〉がかけがえのないものであることは分かっている。近所のパン屋さんで食べたそうにパンを眺めていたら「一個だけならいいよ」と頷いてくれたこと。奇妙な形のオブジェを並んで眺めたこと。彼女の感想は「ぶつかったら痛そうだね」だった。オムライスを作ってメイドカフェごっことか言いながら一緒にお絵描きしたこと。宅配ピザが届くまで、どんな味か一緒に毛布にくるまって想像したこと。暗い窓の下で煙草の先端が明るく燃えていたこと。かけがえのない親密な時間たち。

 そういった〈親密さ〉を育み続けてきた一方で、〈ときめき〉と〈性欲〉を維持することがどうしてもできなかった。付き合いたてに感じた高揚感を彼女に抱く頻度は徐々に減っていったし、別れる4ヶ月前くらいから彼女と一度もセックスをしていなかった。親密な記憶は今でもずっと持ち続けているのに、彼女に感じたときめきが何で、彼女のどこに性的な魅力を感じたのか今となっては思い出せなかったりする。

 本当はさ、〈親密さ〉でその全てを超えていってその先でずっとずっとあなたと一緒にいたいんだけど、とか思いながら、徐々に無機質になっていく部屋と他人になっていく彼女をずっと眺めていた。

 〈親密さ〉をそっくり残したままの恋の終わりは苦しい。「あ、お気に入りのTシャツうちにあるよ」「うん」「送ろうか」「うん」「これ本当よく着てたよね」

 それは、いつものふたりの、変わらない親密なやりとりでありながら、同時に恋の終わりの会話なのだ。

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「一秒で、」

 一秒で、その人のすべてが明らかになる瞬間がある。たとえば、冬に他人と指先が触れ合って静電気が起きたとき。「ひゃっ」と声を出して大きく手を引っ込めるのは常に僕の方で、相手は静電気よりも僕の大袈裟な反応に驚くことが多い。正直かなり恥ずかしい。

 僕の方も「ひゃっ」と驚きながらも、「これはただの静電気だ」と分かっている。分かっているのだがどうにも手遅れで、出してしまった声を飲み込むことも、大袈裟な反応を途中で止めることももうできなくなっている。

 相手が女性であった場合、ああ、これでこの人と恋に落ちる可能性はゼロになったな、と観念する。どの世界に静電気ひとつで自分よりも大袈裟に驚き、手を引っ込める男を好きになる女性がいるだろうか。

 これは単に静電気の痛みに強いとか弱いとかそういう話ではなく、人間の本質的な話だと思う。

 というのも、大学生の頃に冬の札幌に行ったときのこと。凍った路上で当時の彼女が足を滑らせた、その瞬間に僕は「わっ」と驚いて、繋いでいた手を離してしまい、支えを失った彼女は思いきり転倒したことがあった。彼女はひと通り呆然としたのちにむくっと起き上がり、お尻の雪を払いながら「あたし、なんか、わかった気がする」と呟いた。

 そのことがあってかどうなのか確かめることはしなかったので、分からずじまいではあったが、その人とは結局1-2ヶ月ほどして別れることになった。文字通り、一秒で、二人の未来は決まったのだ。

 彼女が足を滑らせた瞬間に、がしっと腕を支えて、微笑できるような男だったら、あるいは支えようとして一緒に転んでしまってもいいだろう。そうなったら別に二人で笑えばいいだけだし。ただ、とにかく僕のその反応だけはあってはならないものだった。

 たぶん僕が人に対してドライだと言われたりするのはこういう何気ない一秒一秒の積み重ねなのだろう。そういえばこの前もその、渋谷のパルコの一階のカフェで友達に「おまえって、もし今ここで崖から落ちそうになったとしても、多分腕を掴んで助けるタイプじゃないよな」と、ふと言われ別の友達が「それはそうかもね」って。

 いや、そもそも渋谷パルコのどこに崖があるんだよ。

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「飲み会」

 僕は飲み会が苦手だと友達に言うと、結構な頻度で意外がられたり、「飲み会なんて自然に楽しめばいいだけじゃん」って不思議がられることが多い。で、その度にその自然に楽しむというのが苦手なんだよね、と思う。

 飲み会の席では大抵両サイドに人がいて、右側の人と話していると、左の人が気になって仕方ないし、その逆も然りといったような感じで、両サイドの人と自然に話す、ということが難しいので、バランスを過剰に意識し続けることになって苦しい。

 やがて盛り上がってくると、みんなが自然に席を移動し始めたりして、自分のグラスを手に、トイレに立った人の席に自然に座っている。座られた方も自然にまた別のところに移動して、その場所で新たな話の輪を作っている。

 だが、僕は最初に座った席を動くことがどうしてもできない。みんなのようにすればいいと思っても、トイレに立った人の席に自分が座ってしまうと、何かおそろしい空気になってしまう気がして体が動かない。なぜなら、私だけは自然にそれができないからだ。

 また、ある程度ロジカルなトークの積み重ねによって構成された飲み会であれば、あの人とあの人の喋り方を何割ずつトレースしていって、あ、今日の飲み会はこんな感じの話題でこれくらいのテイストで話せばウケを狙えるんだな、みたいなチューニングとあとは一般的な会話のスキルセットで戦えるが、(それもそれで疲れるけど)一方で、参加者のキャラクター性に頼るタイプの動物的な飲み会になるとダメなので、もうあとは自分の領域を展開するか、領域展開の押し合いで負けた場合はもう本当に帰るしかない、というような感じになってしまう。

 さすがに突然帰ったらあまりに空気がヤバいので帰ることはないけど。

 なんにしてもそんな感じだからほら、たとえば飲み会のときに離れた席から「ちょっとおいでよ〜」って呼ばれるとすごく嬉しい。呼ばれた理由が何であってもすごく嬉しい。いそいそとそこまで行ったところで「なんかヤバいことしてよ」みたいな雑な振りをであったとしても。その瞬間にこの世界に触れられたような気がして嬉しい。

 ね、俺って結構可愛いでしょ?

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「恋愛相談」

 はじめまして。いつも楽しくブログを拝見しています。突然ですが、私も半年くらい片思いをしている人が居ます。
 ですがここ最近は倦怠期というか気持ちが落ち着いてきて、好きという思いが急速にしぼんでいっているような気がします。知り合いから大丈夫だよ頑張ろうと励まされても「どうせ無理だし」「無責任にそんなこと言われても」と腹が立ってしまい自己嫌悪に陥ります。
 稚拙さんはどのようにして好きという気持ちのモチベーションを保っていたのでしょうか?やはり稚拙さんにもテンションの波などはありましたか?長文失礼しました。

 ブログに載せてもいいということで真面目に答えますけど、普通に諦められるなら諦めた方がいいと思いますよ。俺の話だとモチベーションを保つための努力みたいなのは一切ない。むしろ、いつ片思いをやめられんだろうね、って毎月のように言ってた。長期間の片思いって、たぶん、迷惑そのものだし。

 正直、この相談を読んで、あの、悩んでる人にこんなこと言うのはあれなんだけど、それって最高じゃんって思っちゃった。特に喧嘩したとか幻滅するような何かがあったとかじゃないのに、好きという気持ちがだんだんとなくなってきたんでしょ。それってかなり理想に近いパターンじゃない?

 だって考えてみて欲しいんだけど、それって見方を変えれば「この人のこと好きかも……」と気付いてドキドキしてたさ、恋の一番最初の時と全く同じ状況にあんだよ。仲良しと好きの狭間で悩んでんでしょ。一番楽しいとこじゃん。これって恋のトロの部分じゃない?かーーー羨ましいーーーー。大将! トロもう一貫!

 ほら、俺の好きな人ってマジで最高だったからさ、俺が片思いしてても内心はどうかしらないけど、いつも通り、そりゃもう憎いくらいにいつも通り接してくれてて、しかもそれももう二年くらいずっとね。こんなのってほんとレアケースなんじゃないかな。普通は疎遠になるか不可逆的な関係になって終わるでしょ、セフレとかね。ほんと早いうちにやめた方がいい。片思いより友達としての方がはるかに楽しくて有意義な時間を共有できると思うし。

 片思いについて不肖な俺から言えることはあまりないんだけども、一つだけ、知り合いが何の根拠もなく応援してくれたり励ましてくれるのは、あなたの事を思っての百パーセントの善意なんだから、すべてが片付いたときには許して感謝しておやり、ということ。その人たちはおそらく、好きな人よりもあなたに寄り添ってくれている人たちだしね。

 あと、これは本題とは関係ないんだけど、急に恋愛相談を送ってこられるとびっくりするから、マジで控えてほしい。最初、嫌味かと思ったもん。落ち着いてからでいいから自分の書いた最後の一文を読み返してほしいんだけど、人には「腹が立つ」とか言う割には自分も同じ事やんだな、っつー感じだよ。なあ。

 あ、なんか腹立ってきたわ。冒頭で「諦めた方がいいです」みたいなこと言ってたけど気が変わった。お前も果てまで来い。絶対に途中で投げ出すなよ。失敗しろ。いいか、人に意見をもらってうまく立ち回ろうなんて二度と考えるなって。俺もしたんだからお前も同じ失敗をしろよ。それがフェアってもんでしょ?

 な。頼む。頼みますわ。俺悲しいんだ。お前が賢く振舞って、器用に生きていく姿なんて見たくねえんだ。なあ、ズルすんなよ。それはズルだよ。俺と同じ過ちをそっくりそのままなぞれって。頼む頼む頼む頼む頼む頼む頼む頼む頼む頼む。

 好きな人に恋愛相談して他人事みたいにアドバイスされる沼で、そこの泥をすすって生きようや。俺の言ってることわかる?伝わってるか?なあ。俺は今、お前に言ってるんだぞ。つまりさ、自分の名前のLINEスタンプを好きな人にプレゼントして、それを一度も使ってもらえないっつー経験をしてからまた相談に来てくれ、ってことを言いてえの。好きな人に「○○に送る専用スタンプ」をプレゼントして、それを完全に無視されてからまたここに来い。そんときは、俺、すげー優しいから。

 

奇跡さえ起こればいい

 これまで俺が記述してきたことってもう既に終わっていて、今更どうしようもないことを後から振り返るみたいな感じで、それこそ恋愛みたいな、なんつーか話してても聞いててもむず痒くなるような話題って、基本的に現在進行形で書かないって決めてたのね。(俺の場合、性格的に本当に痛いこと書いてどうせあとで黒歴史になるし)

 ま、でもそれでもいいから今自分が感じてる気持ちをリアルタイムの温度感を保ったまま残してー!って思っちゃうくらい今日はハッピーなことがあったから書いちゃおうと思います。ほろ酔いで深夜で無敵だし。そう、何を隠そういま気になってる人の話。あの、まだ全然付き合ってるとかそういうのじゃないんで詳細は伏せるんですけど。(ベラベラ書いて振られたとき本気で恥ずかしくて死にたくなるから)

 てか俺ね、一個だけ後悔してることあるんですよ。なんつーか、そんな身近に天使がいる、みたいな可能性を微塵も考慮せずに日夜やりたい放題してて、それはもう、意味分かんないこと言ったり、触れるもの皆傷付けたり、意味分かんないこと言ったり、酒に喧嘩にドラッグに明け暮れてた系だったわけじゃないですか。で、なんだろ。周りも周りでそんな俺を面白がってくれちゃって、それが結構嬉しかったのと、あと普通にもう引くに引けなくなってたのとで、もうこれ大人になったら確実に負け、みたいな。俺ってば変にまともな奴に馴染んじまったらもうその場で自死しようと常に懐刀を持ち歩いてたくらいにはおかしくなっちゃってたわけですよ。

 いつからおかしいんだろうって思うと、まあ生まれ落ちた瞬間からになるけど、そのやっぱ社会性の獲得と共に矯正されていくと考えたときに、壊滅的にそこが抜け落ちたのってやっぱり高校で。高校時代って、なんつーのかな。結構そういう自由な感じでヒエラルキーもなければいい意味でみんな周りに無関心みたいな。まあ、そこそこ進学校に行っててみんな自立してたし、自主自立が是とされる空間で、俺のそういう他とは違う部分も許容され続けてきた。

 学校サボって日光まで行って猿の交尾見てゲラゲラ笑ってたり、通学で使う某東京メトロの線路で逆立ちして電車止めてしこたま怒られたり、サイゼリヤで騎馬戦して出禁になったり。同級生もその辺で拾った冷蔵庫を教室に置いて勝手に飲み物冷やしたりしてて。まあその、日夜やりたい放題してたわけだけど、その延長線でここまで来ちゃったみたいな。あ、でも冒頭で書いた酒に喧嘩にドラッグにってのは当然並べ立てた嘘八百なわけで。最低限のラインは守ってたってこと自己保身のために言っとくね。誰が見てるか分かんないし、あらぬ誤解を与える意味が全く分かんねーから。じゃ、最初から書くなよって話だけども。

 で、まあそのいま気になってる人はそんな俺を見てシンプルにドン引きしてたわけ。彼女の言葉を原文のまま拝借すると「いやでも普通に、本気で頭のおかしい人だと思ってて正直苦手だった。実際あなたが喋ってるとき私黙ってたし。」

 いや、ヤバくないですか?初対面でかつ、全く話したことない状態だよ。え、そんな見ただけで「無理かも」みたいな生き物ってこの世にゴキブリくらいしかいないもんだと思ってたけど、仮にも知性がある人間でそんなことあるんだ。ってか俺だったんだ。普通にちょっと感心しちゃった。

 でも、本当に人間で良かったー。だってもし仮に俺が人間じゃなかったらその、刑法とかそういうのももちろん適用されないわけで、多分普通になんの躊躇もなくゴキジェットとかでシバかれて仰向けになって転がってるところをビニール袋かなんかで回収されてそのまま息を引き取ってたわけだからね。マジで。どうしようもなくキモくても生きることを許されている人間に感謝。

 ちょっとゴキブリの話でこれ以上脱線させると、本当にまずいことになりそうだからこの辺にしておくけど、まあなんだ。要するに第一印象でシンプルにキモがられてたって話で、実際はこんな駄文をつらつらと書いてる時点で第一印象を超えてもちゃんとキモいっていう。どうしようもないじゃん。何これ、お母さんごめんね。

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 ほらでも、こうやって頭に浮かぶ文章をだああああって書いてみて思ったけど、今の気持ち書きてーとか言っときながら、思ったより自分自身が自分の感情を言語化できていないことに驚く。俺こんな感じだけど本当に大丈夫なのかな、みたいに思えてくる。

 例えば、どこが好きなの?とか聞かれたとして、なんか多分本当に決まった答えがあるわけじゃなくて、「え、なんだろ。コップを静かに置くところ?あと目の動きとか生への気力がなさそうなとことか。でもって、か弱そうな雰囲気醸し出しといてたまにちょっとだけ口悪くて、なんだ。結構キッパリしてて芯強いんじゃん、みたいな節々とか?あ、それこそこないださー、から始まって、ところでお前ら愛って知ってる?いま愛って言葉を聞いてなんか想像したっしょ?それ。それが服着て歩いてんの、ウケるよね。」みたいなそんな感じで、その時その時思いついた順に好きだな、良いなって思ったところを並べるだけで全然うまく答えらんない。

 ずばっと好きな人のこんなところが好きって言えて、聞いてる人も「うわっ、そりゃ惚れちゃうよ」みたいな、出来れば全員がその、好きな人のことを好きになってくれるようなプレゼンを指し棒とか使ってしたいんだけど、なかなか難しくて、だからそうやってちゃんと答えられる人ってほんと憧れる。

 気になってる人って俺が持ってないもの全部持ってるし、反対に俺が持ってるものってその人にとっては不要なものばかりな気がして、考え方とか嗜好もたぶん全然違うし(まだこれから分かってけばいいとこだけどさ)、自分がどこに惹かれてんのか、なんで一緒にいたいと思うのかわかんなくなって、逆にどこが好きだと思う?つって、合コンに居るうぜーババアみたいになっちゃいそう。

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 こないだもさー、気になってる人が飲んでるときの動画を送ってくれて、それがなんとまあ可愛らしいのなんのって感じで、そのせいで俺があまりに凝視して見ちゃうもんだからさ。まあ、そのときだよね。白眼ッ!!!!つって、血継限界に覚醒したのは。白眼ってすげぇのな。ずっと凝視し続けてたらさ、もう好きな人の洋服を通り越して下着を、いや下着すら通り越して表皮を、もうそこで留まるわけもなくてしまいには臓器をって感じであらゆるものを見通せちゃって、彼女がちゃんと健康優良児であることを理解して「今日も生きててくれてありがとう」って涙が溢れてきちゃったわけ。もちろんそんなわけなければその、好きな人がいま何考えてるのかとかどう思ってるのかとかすら見通せてないわけなんだけど。まあ、今のくだり普通にキモすぎるというかこんな長々と書く必要あったかというと、当然なかったわけで。こういうのなんて言うんだっけ?あ、蛙化?分かんないけど、気になってる人にだけはこの記事絶対にバレないようにしなきゃって今心に誓った。

 あっそうだ、あとあと、なんかその人結構動物好きで、普通に飼ってて定期的に動画を送ってくれちゃうもんだから、それにもちゃんと癒されちゃってるんだけど、動物って本当可愛いのな。マジで天使。でね、その動画でね、飼ってる動物に指差して好きな人が笑ったりしてるわけ。俺もそれ見て爆笑しちゃった。いや、天使が天使指差してんじゃん、って。ど、ど、どっひゃ〜!あれれ~!?よく見たらこれ天使じゃなくて気になってる人じゃ〜ん!ちょっとちょっと〜!オメェすっげえ美人だなぁ!オラといっちょ結婚すっか!?って孫悟空になっちゃった。

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 いやでも、たとえ俺が孫悟空になっちゃっても好きな人にとってはマジで関係ないし、ってか普通に意味分かんないし。なんだろ、冬の気圧配置、みたいな、今のはちょっとたとえがうまくいかなかったからスルーして欲しいんだけど、とにかくそれこそもう奇跡でも起こんない限り、なかなかこう、お付き合いしましょって感じになんない気もするわけ。

 俺もここんとこずっと気を抜いてたっつーか、省エネモードみたいなのになってたんだけど、なんか会う度、気になってる人はどんどん可愛くなってくし、ね、どしたの、悪魔と契約した?みたいな、もうほんとおちおちスリープしてる場合じゃねえぞ、って感じで。

 俺だって高校時代は圧倒的問題児、名門校の末席を汚してた身なんだから、いざという時は舞台上から彼女に向けていつでも「まだまだ全然分かんないことの方が多いけど、それ全部知りたいし、知った上でそれでもずっとお前のことが好きだっ!」って宣言しちゃえるくらいのアレでいるつもりだし、もうほんと、あとは奇跡待ち、だけ、みたいな。